太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

国立新美術館『オルセー美術館展』〜世界一有名な笛を吹く少年にみる印象派の誕生

オルセー美術館展に行ってきた

 昨日は友人と国立新美術館の『オルセー美術館展 印象派の誕生 -描くことの自由-/2014年7月9日(水)~10月20日(月)/国立新美術館(東京・六本木)』に行ってきた。パリのオルセー美術館からモネやセザンヌやルノワールなどの印象派画家の絵画が多く展示されていて見応えがあった。厳密には「印象派」に属さないものの、大きく寄与したと言われるマネが大々的フィーチャーされており、初めて現物で観る『笛を吹く少年』は圧巻。

 遠くから観ると写実っぽいのだけど、近くに寄って観るとかなり荒々しい筆致である。ズボンの裾や靴下の陰影も実はかなり平坦で、ニュアンスが難しいのだけど「職人技なドット絵」を連想させた。これは写真の発明によって、現実を綿密にデッサンしていく「写実主義」の必要性が廃れていって、心のなかの認知(=印象)そのものを表現する方向になったからであると言われている。美術史は全然分からないので適当だけど。

「印象派」の意味が分かった

 風景画に関しても大きなキャンバスに「ぼんやり」と描かれる様は、まさに心が捉えた風景である。ただし「心が捉えた風景」とは決して「想像」ではない。例えば裸婦を描くとしても宗教画等に見られる「完全な裸体」が描かれるのではなくて、お腹の脂肪や足の裏の汚れを含めて描かれるわけで、想像とも写真とも違う「現実らしい現実」を抉り出そうとしていたのだと思う。

 この試みは超現実主義(=シュルレアリスム)になっていくのだけど、「あえて物理的な現実と乖離させる」まではいかない段階が見て取れるのが面白い。眼前に起こっている物理的な現実は、自身の状態との心的複合によって少しだけ歪んで認知され、記憶され、改ざんされていく事実に自覚的になること。印象を描くことの自由はそのような事に発揮されていくのだろう。

 展示を観た後は六本木ヒルズにあるラ・メゾン・デュ・ショコラの濃厚なムース・オー・ショコラに舌鼓。フランス気分。ショコラはいいね。ショコラは心を潤してくれる。リリンの生み出した文化の極みだよ。写真には映らない甘さは過剰化されて記録される。脳のなかにある物事は「物理的な現実」とは違うのかもしれないが、充分に社会をかたちづくる要素となっている。

蕎麦屋呑み

 フランスが続いたのでフランス料理なんて展開もちょっと思ったけど、そこは日本人。千利庵で蕎麦屋呑みをする事にした。板わさや豆腐の味噌漬けなどで久保田千寿を呑む。同行者が以前にお店への縁があったとのことで、ありがたい事に天麩羅盛り合わせを豪快に増量サービスしてもらった。サクサクで美味しい。細部が食い違う思い出話は、まさに「印象派」である。

 締めの田舎蕎麦。麺にコシがあって蕎麦の香りもなかなか。やっぱり、こういうちゃんと蕎麦を時々は食べたいと思う。蕎麦湯で割って汁も飲む。

 かなり酔っ払っていて、バトルフィーバーJの主題歌を口ずさんだり、バトルフランスのダンス殺法がフラミンコな上に「スパニッシュダンス」って自分で言うのは絶対におかしいみたいな話をしてた気がする。フランスの印象の伏線が無意識のうちに回収されていた連休最初の日は、物理的に起こった事実とは少しだけ形を変えて、心と日記の両面から僕の印象に残っていくのだろう。


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