太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

語りえぬものについてはYoせざるをえない

短文コミュニケーション

 少し前からFacebookやTwitterなどSNSを能動的に使うことが殆んどなくなった。理由は色々とあるのだけど、短文コミュニケーションに関する限界みたいな部分も大きい。どうせ短文だったらYoだけをすれば良い。Yoとは繋がっている人に「Yo」とだけ送れるアプリである。それだけ。

Yo.

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 「ことば」はそれだけのものでしかなくて、もっと無言で成される物事によって世界の大半は動いているのだけど、「ことば」に置き換える事に慣れていくほどに、その限定性を忘れてしまう。

 もし僕らのことばがウィスキーであったなら、もちろん、これほど苦労することもなかったはずだ。僕は黙ってグラスを差し出し、あなたはそれを受け取って静かに喉に送り込む。それだけですんだはずだ。とてもシンプルで、とても親密で、とても正確だ。

もし僕らのことばがウィスキーであったなら (新潮文庫)

もし僕らのことばがウィスキーであったなら (新潮文庫)

語りえぬこと

 ウィトゲンシュタインは『論理哲学論考 (叢書・ウニベルシタス)』について「語りえぬものについては沈黙せざるをえない」と結んだ。どれだけ言葉を尽くして論理体系をまとめた所で、真善美や暗黙知においては相対論にならざるをえない。人は誰しも箱を持っているが、自身の箱の中身は自分にしか見えないし、変えられない。箱のラベルを渋々貼り替えさせたって、中身は変わらないどころか悪くなる。ラベルにこだわる人へのめくらましにはなるので、その効果をバカにすべきでもないのだけど。

 僕らのことばはウィスキーではないので、どんな意図で、何を言っても上滑りをしてしまうような状況がある。例えば「アドバイス罪」はその事への警句だ。だからといって「沈黙」はもっとも無力である。「無言で抱きしめる」であればウィスキーになり得るかもしれないけれど、前提条件が難しすぎるし、「文化的雪かき」として、黙々と露払いをしておくのも迂遠な瞬間がある。

 だからせめて、Yoを送るのだ。とてもシンプルで、とても親密で、とても正確だ。ついつい的外れに具体的な事を言ってしまったり、それがウザがられているんじゃないかと沈黙するのではなくて、Yoを送るのだ。語りえぬものについてはYoせざるをえない。Yo。Yo。Yo。

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