太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

あるべき姿、ありたい姿、あたりたい姿、あらがいたい姿

photo by ToBe.Photo

あるべき姿

 あるべき姿(To Be)を設定して現状(As Be)との差分を埋めるというのは業務分析やコンサルティングの基本的な考え方です。これはあるべき姿 < 現状 + ソリューション」であり、「あるべき姿 ー 課題 = 現状」です。ここれでソリューションの場合に不等号になっているのは、問題解決方法は課題を超えた成果になる必要があるからです。

ありたい姿

 しかしながら、この「あるべき姿」において、客観的な根拠がなにもない妄想的な夢物語である「ありたい姿」を設定しがちです。よくあるのは営業部長などが全社的なビジネス目標であるかのようにステークホルダー要求を出してしまうパターンです。

 さらには社長が会社挨拶やブログなどに無茶な目標や反社会的な内容を書いてしまう事もあって、それをビジネス要求として捉えると途端に難しくなります。特にワンマンなブラック企業は、ビジネス要求とステークホルダー要求の区別が付いていない事が多いです。

 この「ありたい姿」を実現可能かつ、従業員や社会的なコンセンサスを得やすい「あるべき姿」に矯正していくというのも重要な仕事ではあるのですが、システム屋として関わる場合は「ビジネス要求は所与である」ことを意識付ける必要があるため、線引が難しくなります。

 まして中小企業や個人商店が相手であると、「ありたい姿」を否定する事は組織全体を否定することにも繋がるため、難しい問題をはらみます。なるべく定量的なメリデメ表や統計などを出して選択肢を説明しつつも、最初から決まっていた選択に誘導する儀式を通して善行義務を果たす事になる事も多いとは思います。

あたりたい姿

 それ以外にも「あたりたい姿」と「あらがいたい姿」があると思いました。これは他者にどう認識されているかに依存する問題です。『奇刊クリルタイ7.0』の座談会において。「あたりたい姿」について少し語りました。

 相手が恋愛感情をどのくらい重視するかも重要で、こちらに当たり前品質としてのスペックばかり求めて、人間的な魅力は特に感じていないであろう態度をとられると辛い。
(中略)

 どこまでが自分の本質なのかという、シューティングゲームで言うところの「あたり判定」への態度設定の問題ですね。相手が認めるのが「年収」という「あたり判定」だけだった場合などにズレを感じてしまうわけです。

奇刊クリルタイ7.0

奇刊クリルタイ7.0

  • 作者: クリルタイ,白河桃子,熊代亨,ステファン・ラピー,松永英明,望月倫彦,republic1963,古田ラジオ,奇刊クリルタイ編集委員会,吉川にちの
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 つまり、「私は、どう魅力的だったか?」の理由の性質まで求めてしまいがちだという事です。結婚を考えると、年齢や収入や見た目などの分かりやすい部分が重要視されがちですが、それを目当てにされても困ってしまうという事が当時は言いたかったのでしょう。

 年齢や見た目は加齢によって劣化しますし、収入だって5年後は分かりません。なので、そこを魅力として挙げられると「そうでなくなった」時の事を考えて絶望してしまいます。それが例え嘘であっても「一緒に居てほっとするから」とか言われると弱いんですよ。

あらがいたい姿

 また「こう思われるのは嫌だ」という姿もあります。自分中心主義や変人と見なされやすい事については今更の事なので、あたり判定がないのですが、いくつかの知識や能力について下に見られたり、見た目や性格の根幹的な部分を理由に振られたりすると未だに凹みます。逆に自分中心主義や変人は「あたりたい姿」なのかもしれません。

 ここでも、「私は、どう魅力的ではなかったのか?」の理由の性質まで求めてしまっています。そして「それは誤解だ」と言いたくなったり、直視できなかったりもします。確かに相手の口からそれを言わせたところで、どこまで「ほんとうのこと」なんてのは分かりませんし、自分の納得とは遠くなる可能性も高いでしょう。

 ジョハリの窓には、「自分は気がついていないものの、他人からは見られている」という「盲点の窓」があります。実際問題として自覚していないような事が原因となっていることが多いのでしょうが、自分の中の納得を別のところに捏造して的外れの改善をしてしまいがちです。

 コミュニケーション理論に『ジョハリの窓』というものがあります。これは「自己」の表出にあたってセルフコントールしている「開放の窓」「秘密の窓」とは共に、自分は気がついていないものの、他人からは見られている「盲点の窓」、誰からもまだ知られていない「未知の窓」があるというものです。
f:id:bulldra:20130103083420p:plain (ジョハリの窓 - Wikipediaより転載)

「綺麗な動機」を求めてしまうエゴとバイアス

 相手に依存する事柄については、「相手にとって自分がどう思われているか?」を気にしてしまいがちですが、自己言及のパラドクスによって「ほんとうのこと」なんてものは最後まで分かりませんし、様々な要素が変動しあって偶然的にそのような事実だけが残ったというのが実情でしょう。

 そんな「動機」を探索し続けても仕方がない側面もあるのですが、「あらがいたい姿」にヒットする予感がある時に、自身にとって都合の良い「あたりたい姿」を「ほんとうのこと」として捏造して納得してしまえば改善機会を逸してしまいます。

 何かの理由を検討する時は、自身に認知の歪みが発生しているのかもしれないという事は念頭において、ゼロベースで見直すことも必要と思いました。

マッキンゼー流 入社1年目問題解決の教科書

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