太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

胡蝶の夢のバッドエンド・ハッピーとの後日談

また寝てた

 ここの所やけに眠かったり、怠かったりして活動的なことが何もできていません。先週土曜からほぼ連休だったのですが、寝転んでネットやっていたり、漫画を読んでいたりするばかりでした。カンフル剤としてラーメン二郎に行ったりもしましたが、臨時休業で心が折れました。

 気圧や天候や花粉症やアレルギー薬の副作用や漠然とした不安や無力感みたいなものが綯い交ぜになって、ただただ眠いのです。ヤクはしょうがないとして、この不安感についても朦朧とした頭でなぜ?を考えてみると「バッドエンド」という言葉が浮かんできました。

バッドエンドきちゃった感

 僕自身に30歳までに道筋をつくらないといけないという意識が強かったとは思います。エンジニア35歳定年説とかを散々聞かされましたし、その後に勝間和代が結婚35歳限界説を唱えたりもしていました。とにかく35歳までに防衛すべきストックを作る必要があり、そのための射角調整や推進力の確保は30歳までに完了しておく計画でした。

 典型的なパラノ型人間として、自分なりには頑張ってきたつもりでしたが、なんか嫌になってしまいました。朧気ながらもゴールが見えてしまったからこそ、安定を崩そうみたいなところもあったのだろうと思いますが、現実問題としては独り酒してTwitterで吐き出すとか、昔取った杵柄でうっすい説教して自己嫌悪してるとか、ダルいからと放置してた不動産契約の不備で怒られるとか、そんな事ばかりです。地方赴任してからは引きこもり気味にもなってしまい、今や凡百の地方サブカル自意識こじらせおじさんです。

 ゲームのエンディングなら、今の状態だけを描写すれば十分で、「その先」の描写なんて必要ないぐらいの「バッドエンド」なのかもしれません。それでも現実のぼくには死までのモラトリアムがまだ40年ぐらいある絶望と希望があります。

思春期の終わりと確率分布の収束

 人間には無限の可能性があると言われますが、実際には加齢にしたがって確率分布はどんどん収束していきます。そんな事はないと少数例を挙げる事もできるのでしょうが、自分自身の「眠さ」を考えると大幅に外れることはないだろうという実感があります。今から秒速で1億稼いだり、アイドルデビューしたり、サッカー選手になるのは無理だって事ぐらいは流石に理解しています。そして、そこで「なれない物」として例示するものが一般的には「普通」に属するものになってきています。守るべき陣地などない撤退戦。

 例えばライトノベルでは、キャラクターの類型を提示することによって、今後の展開を先立って予告するわけですが、自分自身についてもロールモデルを設定した類型化をして、それを守っているところがあったと思います。自己言及的に提示していた「自分は◯◯が好きで、◯◯が得意だから、◯◯である」みたいな思春期特有の自負すら思い込み成分の方が大きかったという事が実際に展開された物語によって明らかになっていきますし、それを覆せる見込みも少ないから眠くなるという共犯関係にあります。同じバッドエンドが確定しているなら眠り続けていた方が価値工学的にもいくぶんかマシです。

バッドエンド・ハッピー

 ところで『スマイルプリキュア!』にはバッドエンドプリキュアという偽プリキュアが出てきます。彼女たちは本来のプリキュアの一般的に良い物とされる性格をエゴイスティックに突き詰めた性格なのですが、シンパシーも感じます。特にバッドエンドハッピーの「他人を不幸にしてでも自分さえハッピーであればいい」という考えが、むしろ必要になっていくのではないかと思いました。

 他者を不幸に陥れるのは面倒なので辞めるとしても、誰かを「救う」「養う」みたいなものは、自分の義務でも権利でもなかったということです。バッドエンドハッピーという名前は奇しくもバッドエンドの中での幸福を考える事にもつながりました。悪堕ちしたちょいワルおじさんとして、エゴイスティックな幸せを追求するのもひとつの方向なのかもしれません。

眠り続ける意志力

 もともと非モテ論壇には殆ど出入りせず、2chの毒男板にいたのは偶然も大きいですが、「どうせモテないから◯◯しようぜ」文化がありました。どうせモテないから週末が暇になってきましたし、独りで質素に暮らしていくなら特に不自由がない状態にはあります。

 だからガトーショコラを焼いてみたり、スポーツジムに通う事もできました。でも何より贅沢なのは昼間からお酒を呑んで眠り続けたり、寝転んで漫画を読んだりし続ける事ができるという事なのかもしれません。もう使い古されたコピペですが、こんな話があります。

メキシコの田舎町。海岸に小さなボートが停泊していた。メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。その魚はなんとも生きがいい。それを見たアメリカ人旅行者は、「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」 と尋ねた。

すると漁師は「そんなに長い時間じゃないよ」と答えた。旅行者が「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」と言うと、漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。

「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」と旅行者が聞くと、漁師は、「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、女房とシエスタして。 夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね」

すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、きみにアドバイスしよう。いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、漁をするべきだ。それであまった魚は売る。お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキソコシティに引っ越し、ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」
漁師は尋ねた。「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」「二〇年、いやおそらく二五年でそこまでいくね」「それからどうなるの」「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」と旅行者はにんまりと笑い、「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」「それで?」

「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て、 日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。 どうだい。すばらしいだろう」

 誰もが望めば画一的なハッピーエンドを手に入れられるほど、「げんじつ!」の設定は甘くないよです。僕は誰かや何かを守るプリキュアにはなれなかったのかもしれませんが、守るべきものがないからこそ確率分布の収束が別方向で開放されていく感覚もあります。

 それは「悪堕ち」なのかもしれませんが、バッドエンドシャワーを誰かに使うわけでもなく、眠り続ける意志力のために使おうと思います。所詮は胡蝶の夢だからこそ、夢のまた夢にまどろみ続けるバッドエンド・ハッピーならオレの隣に寝てるし、守りたい。この寝顔。そんな夢想を春眠の中でし続けていました。

いま、幸福について語ろう 宮台真司「幸福学」対談集

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