太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

猫に唐辛子を食べさせる毛沢東の方法と日本のホトトギス

What?

黒い猫でも、白い猫でも、鼠を捕るのが良い猫だ

 「黒い猫でも、白い猫でも、鼠を捕るのが良い猫だ」という言い回しがある。これは中国共産党の会議において、毛沢東肝いりの「人民公社」について「民衆が望む形式を採用するべきであり、それが非合法であれば合法化すれば良い」という持論を表明する際に引用された中国安徽省の諺である。

 この発言を耳に入れた毛沢東は「主義と方針を持たない実用主義的観点」と批判して、鄧小平が失脚する原因となったが、後の改革開放路線では積極的に活用されるスローガンとなった。ただしくは「黒い猫でも、黄色い猫でも〜」だそうなのだけど、白と黒の清濁を対比させた言い回しのがミームとしての強度がある。

猫に唐辛子を食べさせる毛沢東の方法

 それ自体はよく知られた話なのだけど、この前段として毛沢東が劉少奇と周恩来にした猫の話があったという説を『アカシック ファイル 日本の「謎」を解く! (講談社文庫)』で知った。(※出典では「胡椒」となっているが、「辣椒」=唐辛子と訳すのが妥当であろう。)

このころ上海で、こんな小話がはやっていた。毛が、いがみあっている二人の部下(劉と周)に、ネコに胡椒を食わせるにはどうしたらよいか―資本主義者に共産主義を受け入れさせることを上海流ユーモアで喩えたもの―たずねた。劉少奇は、ネコをおさえつけ、箸で喉に胡椒をおしこむのがよいと答えた。毛は、力ずくはいけないとしてこれを認めなかった。周は,ネコを飢えさせておき、胡椒を肉にくるんでまるごと飲みこませるのがよいと答えた。毛は、それはペテンだと言ってこの考えにも満足しなかった。毛自身の考えは、ネコの尻に胡椒を塗れば、ヒリヒリするのでたまらずなめてしまうだろうというものだった。

周恩来―不倒翁波瀾の生涯

周恩来―不倒翁波瀾の生涯

 強引にやるのも、本来の目的を隠して外見を取り繕うのもダメで、その性質を利用して受け入れざるを無い状況を作るべきといった話である。これ対して、「どの方法でも唐辛子を食べたんだからいいじゃないか」という反論を匂わせた鄧小平の持論の表明が「黒い猫でも、黄色い猫でも、鼠を捕るのが良い猫だ」だという。実際に明確な毛沢東批判の意図があったのか、その内心は不明だけど鄧小平が失脚したのは事実である。

鳴かぬなら鳴くまで待とう時鳥

 それを聞いて連想するのが、ホトトギスである。それぞれ、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康をあらわしている。

  • 鳴かぬなら 殺してしまえ 時鳥
  • 鳴かぬなら 鳴かしてみせよう 時鳥
  • 鳴かぬなら 鳴くまで待とう 時鳥

 これらは『甲子夜話』という江戸時代後期の肥前国平戸藩第9代藩主松浦清が記した随筆集のなかで紹介された詠み人知らずの川柳であり、本人が詠んだわけではない。匿名ネタツイがキュレーションメディアに紹介されたようなものだ。

 国も時代も違うけれど、猫に唐辛子を食べさせる方法とは異なるレイヤーの選択肢になることが興味深い一方、「食べぬなら 殺してしまえ」を現実にやってしまったのが中国共産党である。僕自身は青唐辛子の南蛮漬け(南蛮味噌)が好きなのだけど「好んで唐辛子を食べる猫」を想定しえない時点で、理念の現実のギャップによるカタストロフが発生する定めにあったんじゃないかなと。