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太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

2014年に読んで「ほんのちょっと」だけ人生が変わった5冊の本

photo by homestilo

今年読んで良かった本まとめ

 今年は例年よりも読書量が大分少なかったのだけど、その割には得るものが多い読書体験に恵まれる機会が多かった。「ブログに感想を書きたい」「Skype読書会で話したい」という動機で自分の言葉で説明できるように丁寧に読みこんだり、会話をして理解を深める機会が多かったというのもあるのだろう。

 『今週のお題「年内にやっておきたいこと」〈2014年をふりかえる 1〉』アドベントカレンダー2日目は「今年読んで良かった本」を題材としたい。僕にとって「良い」というのは、それによってほんの少しだけでも「実行動が変わったか?」という観点なのだと思う。行動が変われば人生も変わるだろう。

車輪の下で

車輪の下で (光文社古典新訳文庫)

車輪の下で (光文社古典新訳文庫)

 第1回Skype読書会の題材。学生時代に読んだ気もするのだけど完全に忘れていた。大抵の苦悩は優先順位の問題であり、恋をした瞬間に優先順位が劇的に切り替わったり、失恋したり働いていくうちにナイーブな部分がスレていくというのもまた青春なのであろう。

 なぜか「落ちぶれた」とか「自殺」というあらすじがWikipediaなどに書かれていたけれど、ちゃんと読むと機械工の仕事をそれなりに楽しくやったうえで、酒場での法螺話に皮肉無く爆笑したりしていて、その帰り道に(明確に描かれていないものの)「事故死」をしている。

 『レールの外ってこんな景色: 若手ブロガーから見える新しい生き方』という本に参加させてもらったのだけど、「車輪の下」と「レールの上」は同じメタファーである。光文社訳版の『車輪の下で』というタイトルはより、重圧に耐えている感じがする。レールや車輪から外れる事が「正しい」というわけではないのだけど、「耐え続ける」ことへの見返りはあまり望めないという事を意識したい。

一九八四年

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

 「ビッグ・ブラザー」の統治する監視社会をディストピア小説であり、「権力のための権力」を考えるきっかけとなった。こちらもSkype読書会の題材。現代社会において「ビッグブラザー」への想像力は壊死しており、むしろ小さな群像が壁となる「リトル・ピープル」や中間層として便宜的な強権を持ちやすい「ミドル・ブラザー」といったものに力への意思は移行していると思うのだけど、言語論的転回などの手法については継続して利用されている。

 「ニュースピーク(=新言語)」がまさにそうなのだけど、例えば「国家社会主義ドイツ労働者党」が「ナチ」になったの同じようにシニフィアンから語源を取り除く作業が行われている。前者だと「国家社会主義とはそもそも〜」みたいな話が生まれる余地によって「現在は正しくない」という結論を内包し得るが、「ナチ」になってしまえば、シニフィエとの直接結合されるために内発的な否定の余地が生まれにくく、その時点で権力を得た人間のする定義に綺麗にすり替わる。

 これは「マイルドヤンキー」と「ニート」の関係に似ているかもしれない。「マイルドヤンキー」と言われれば「マイルドとは?」「ヤンキーとは?」という連想がないまぜになるが、「ニート」は「Not in Education, Employment or Training」の略語でありながらも直接的にシニフィエを想起させる違いがある。

いや、上京するの面倒くさいし地元の方が楽だよね

いや、上京するの面倒くさいし地元の方が楽だよね: ジモらくのススメ

いや、上京するの面倒くさいし地元の方が楽だよね: ジモらくのススメ

 実家に戻るきっかけのひとつ。これまでの岡田斗司夫が提出した概念を使いながら「意識低い系」の生存戦略について論じられている。それが出来るのは一種の「特権階級」でもあるのだけど、人間が不平等なのはそれに限ったことではない。「都会は選択肢が多すぎる」という指摘も、ともすればコミュニティを焼畑的に渡り歩けてしまう「人間関係10連ガチャ*1」についての警鐘になった。

 また都市部であれば同じ趣味同士で集まるのも簡単であるし、複数のグループがあるので気楽である。トラブルがあっても音信不通にして別のグループに行くみたいな事もしやすいし、中に入り込んで改善活動をするよりも、ありのままを受け入れてくれる場所を探してジプシーをした方が実際問題として楽であろう。

 「選択肢が多い」というのは「退路も多い」ということでもある。もちろん、その「重さ」が嫌なんだというのも分かるけど、そういう紆余曲折から逃避しながら良いものを完成させるのは逆に難しい。粛々と動いていく事や論争が行える関係づくりは一朝一夕では出来ない。

風の歌を聴け

風の歌を聴け (講談社文庫)

風の歌を聴け (講談社文庫)

 第4回Skype読書会の題材になったので読みなおした。良くも悪くも「謎解き小説」としての前提知識を知ってしまってからの再読だったので、やや斜に構えていたのだけど、それでもベタに切なくなる力がある。完璧な文章が存在しない事によって発生する理解のための運動量は、動物的憐憫を発生させるほんの少しの希望なのである。

 それでも完璧に正しく伝達されてしまえば、伝達すべきことが失くなって、文明は終わる。だから「本当の事」を隠しながら書いて、それでいて「本当の事」はここにあるよというメタメッセージを伝えようとする。殺人の理由として「太陽がまぶしかったから」と言うのも、ありきたりの理由を押し付けられるのではなく「本当の理由」をちゃんと考えてほしいからである。

 恋がはじまるのはいつだって「あなたの事をもっと知りたい」という欲望からであり、恋がおわるのはいつだって「あなたの事はもう分かった」である。完璧な殺人事件は死体が発見されない事で達成できるが、死体が発見されなければ事件を解決するための欲望を維持できない。「まだ伝達すべきことが残っている」という共同幻想を維持し続ける必要があるのだ。

弱いつながり

弱いつながり 検索ワードを探す旅

弱いつながり 検索ワードを探す旅

 「検索ワードを探す旅」をキーワードにしながら進む議論は、奇しくも「完璧に正しく伝達されてしまえば、伝達すべきことが失くなって、文明は終わる」という話と弱くつながっている。僕らは完璧には伝わらない事を知っているからこそ安心してコミュニケーションが行える。

 偶然性を作るために旅に出るというのは、『久住昌之『野武士、西へ 二年間の散歩』〜孤独の東海道中膝栗毛 - 太陽がまぶしかったから』にも書いた事で、「とほほ」を含めた実体験こそが最適化されすぎない生き方を可能にするのだろう。旅行をしたぐらいで探せる自分なんてないし、帰ってきた後の人間関係や稼ぎ方が変わるわけもなくて、むしろ変わらない事を確認するために旅をするのだけど、思いもよらない「キーワード」を持ち帰る事はできる。

 新たな「キーワード」を重視するのは、異なるコミュティの飲み会や勉強会に出る事とも一致する。「僕らは似ている」という事を確認し合うだけでは仕方がなくて、その場の話についていけなかったとしても出てきたキーワードさえメモっておけば、学習機会を作る事ができる。それは『パラレルワールド化する森山未來とゾンビ映画 としての『苦役列車』 - 太陽がまぶしかったから』のような結末になってしまうかもしれないけれど、それはサブジェクトの一致を全人格的な一致と勘違いする事による。もっと弱くて簡単に切れる事を自覚した繋がりである。

 この時に「検索させる欲望」が重要であると説かれる。確かにキーワードを知っただけでは意味がないし、弱い繋がりは簡単に切れてしまう。だから「もっと知りたい」という欲望がセットになることで、それを自分のものにしようとする。この欲望を喚起する時間として「移動時間」の効用が挙げられる。

 「村民」でありながら「観光客」または「異邦人」として、つまりホームを意識しながらアウェイに「移動」して行く事が必要なのだろう。そのような話は『レールの外ってこんな景色: 若手ブロガーから見える新しい生き方』における僕のパート「ほんのちょっと、5%だけ外れてみよう」の主題にもなっている。

まとめのまとめ

 以上が2014年に読んで「ほんのちょっと」だけ人生が変わった5冊の本の紹介となる。本を読んだぐらいでは人生なんて殆んど変わらないのだけど、「殆んど変わらない」という事は「ほんのちょっと」は変わる可能性があるという事でもある。完璧な読解なんて出来ないのだけど、そのために頭を捻る運動量がほんの少しの希望になるのだと思う。来年も色々な本を読んで自分のあたまで考えていきたい。

弱いつながり 検索ワードを探す旅

弱いつながり 検索ワードを探す旅