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太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

ビジネスサイドの要求は「予測する」のではなくて自分を含めて作るもの

photo by Sharon Drummond

ビジネス要求は与えられるものではなくて

 どうしてもビジネスサイドからの要望や、あまり活用される根拠のない機能追加に精一杯になりがちなのだけど、個別運用対応が必要になった原因を抽象化して今後のビジネスサイド要求を予測しながら内発的な機能改修に落とし込まないと、運用負荷が際限なく増えてしまう。当たり前の話なのだけど、日々が忙しいと忘れそうになる。

 以前にこんなことを書いていたのだけど、この時点に至ってさえも「今後のビジネスサイド要求を予測しながら」という「待ちの姿勢」が自分の中の課題になっているのだと分かってきた。予め決まった営業的な仕切りにおいて「なぜ?」を聞き出しながら最適化するまでは出来ていても、結局は所与の要求に対して「何を作ればよいのか?」「どうリスクを下げるか?」「どう効率的にやるか?」というエンジニアリングの観点になりがちであった。

 BABOK(ビジネスアナリシス知識体系ガイド)においてさえ「ビジネス要求は所与」という前提において「ビジネス要求を満たすための要求」を開発するまでが作業範囲になっているのだけど、本来には「ビジネス要求へのフィードバック」が重要となる。もちろん、「変えることが正しい」という意味ではないし、必ずしも変えられるわけでもないのだけど、対顧客であれば契約の前段階から参画すべきだし、自社製品であれば「そもそも論」やお金の流れに比重をおかないと業績に正しく寄与していくは難しい。

「仕事の範囲」は自分だけで決めるべきじゃない

書き手として「PV時代は終わり」と思っていても
実質、PV至上主義の今
編集者・運営目線では「PV出さないやつなんて終わり」だと思うので、

(中略)

私に頼む人は少なからず、WEBでの拡散を期待していると思います。
だから、それは、出来る範囲でこたえるのが私のつとめだと思っています。

 この話には2つの観点があって、それに先駆けて「どこまでを求められているのか?」「自分にできる範囲はどこまで?」というメタコミュニケーションもある。

  • 「 書く」という仕事でも「宣伝する」までに仕事の範囲を広げる
  • 「PV時代は終わり」という知見のフィードバックは範囲の対象外にしている

 ある作業範囲について個人的な感性で「すべき」「しないほうがよい」という線引きを決めるのもおかしくて、お金を出す側に期待の決定権があるし、値付けや工数はその範囲ありきで考える必要がある。この点において、自分の感性だけで勝手やる迷惑と勝手に求められていないと見なす迷惑は相似形にある。恋愛論もそういう話だよね。

ビジネスサイドの要求には自分もほんの少し寄与できる

 かつて「中二病」について語るときに、「寄与の過大な実感」という定義を出した。その一方で「社二病」では「寄与の過小な実感」という定義になる。すなわち、どんなに努力をしても大局を変える事はできないという宿命論のなかで「社会は厳しい」という、現実らしい「現実への逃避」をするという逆転が起こる。実際問題としては「殆んど寄与できない」が正しい。それは「少しは寄与できる」ことの裏返しである。

 本来的にはメタコミュニケーションの段階で作業範囲に関するメッセージを発信すべきだし、契約書に明記すべきだとも思うけれど、暗黙的に運営されるからこそ却下される前提の雑談として出すこともできるし、反応をみながらコミュニケーションを変えていくこともできる。その一方でなんでもかんでも主体的にやろうとすればリソースがパンクするわけで、自分がすべき範囲と任すべき範囲について意識的になりつつも、複眼的に捉えた結果としての「越境」に対して臆病になる必要はない。

 ほんと今更ながら縦割りの組織に居た頃に培われた癖を取り除いてるのがアレだ。プチ起業とかサークル活動だと当たり前にできることであっても、受託や組織における宿命論がデフォルトの認識になってしまうのはなかなか厳しい。

仕事。

仕事。