太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

「ブラック企業」というバズワードにおける言語論的展開と読解されないからこその伝達力

photo by Darwin Bell

バズワードとしての問題提起

 近年になって「ブラック企業」という言葉が大きく取り沙汰されるようになりました。この言葉自体は10年以上前からあったのですが、急激に普及したように思います。それだけ過労死問題や残業代未払いが一般に認知されたという事でしょうし、対策についても本腰をいれるようになってきています。

 労務的に理不尽なワンオペが成り立つのって、やりがいとかそういうのではなくて、「俺が休んだら/辞めたら店が閉まる」みたいなネガティブな罪悪感や責任を動機に駆動させられている人のが多かったのではないかと思う。

 これまでは「おかしい」という違和感を抱いても、「みんなそうなのだから特殊例であるあなたは排斥される」という論理で各個撃破されがちでした。だけど「みんな」は意志を持った個体であり、個別に我慢していたと分かる事で救われる場合があります。すき家のワンオペを拒否して閉店に追い込んだのは、ささやかな勝利です。

 ある行動には、喜怒哀楽の重ねあった感情が結びついており、外形的に同じ事をしていても「脆く」なっている場合があります。だけど、他人の感情はなんらかの形をで共有されない限りはわからないし、勝手な推測をするのも危険です。ブラック企業の論理はモラルハラスメントに似ており、「悪いのは自分」という罪悪感に陥らせようとするのですが、その呪縛を一般化し解呪するきっかけとなりうるのが「バスワード」です。

バズワードの生成と言語論的転回

 ある現象を問題だと考えさせるためのバズワードには一般層まで届く「伝達力」が必要となるのですが、そのために「既存言語を組み合わせる」といった手法がとられることが多いです。例えば「ブラック + 企業」「マイルド + ヤンキー」「ダサ + ピンク」ですね。ある言葉に対して位相をずらした言葉を結合させることで強度が保たれる場合が多いです。

 ディストピア社会を描いた『一九八四年 ハヤカワepi文庫』には「ニュースピーク(=新言語)」という概念が出てきますが、これと逆の対応が行われています。「不自由」なんて言葉があるから「自由」を意識させてしまうのだから、「不自由」という言葉すら「なかったこと」にするという事です。

例えば「国家社会主義ドイツ労働者党」が「ナチ」になったの同じようにシニフィアンから語源を取り除く作業が行われている。前者だと「国家社会主義とはそもそも〜」みたいな話が生まれる余地によって「現在は正しくない」という結論を内包し得るが、「ナチ」になってしまえば、シニフィエとの直接結合されるために内発的な否定の余地が生まれにくく、その時点で権力を得た人間のする定義に綺麗にすり替わる。

 「言語論的転回」とは言語による差異の定義がなければ、概念の差異も認識できないため、現実認識は言語に条件付けられているという考え方です。

 「初めに言葉ありき、言葉は神と共にありき、言葉は神であった」とはじまるヨハネ黙示録は、「この言葉は、初めに神と共にあった。万物は言葉によって成った。成ったもので、言葉によらずに成ったものは何一つなかった」と続くのですが、「万物」に分かれる事ができるのは、言語による個別の名付けがあったからという事なのですね。

「個人的な体験」を各個撃破させないための言葉

 「企業」という概念の集合体から「ブラック企業」という概念を明瞭に抽出しようという試みは、「ブラック企業」という公知の名付けが行われたことから始まります。それまでも「おかしな企業」「いやな企業」といった差異の定義を個別個別にはしていたのでしょうが、それだけでは「悪いのは自分かもしれない」という呪縛に太刀打ちしにくいものでした。呪縛の解呪に必要なのは「これを感じているのは自分だけはない」という事であり、それを公知にするためにこそバズワードによる伝達力が有用となるのです。

 その一方で既存言語を組み合わせたバスワードは、バズワード自体の原義を調べないでオレオレ定義による的を射ない話になってしまいがちでもあって、議論が深まっ太郎の思う壺になってしまう事もあります。それもまた「なかったことにする」のと変わらない結末ですし、むしろ機会費用が消費されて、本来議論しなければならなかった重要な問題が疎外されてしまう事すらあります。さらに言えば最近は法令順守ギリギリの範囲で締め上げる「グレー企業」を意図して狙う話もあるようで、言語による線引きを付けるということは解決策への「免疫」や「耐性」をつけさせる機会にもなります。バズワードによる問題共有と陳腐化は諸刃の剣なのですね。

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完璧な読解が存在しないからこその希望

 完璧な読解などといったものは存在しない。完璧な希望が存在しないようにね。文章を書くことも、文章を読む事も他人との距離を明らかにする行為である。明文化された差異を根拠に「語りえぬ事=クオリア」の距離を想像して絶望する。

(中略)

 それでも完璧に正しく伝達されてしまえば、伝達すべきことが失くなって、文明は終わる。だから「本当の事」を隠しながら書いて、それでいて「本当の事」はここにあるよというメタメッセージを伝えようとする。

 それでも、バズワードは完璧な読解がなされないからこそ、「他者に語りたくなる欲望」が生まれ、その伝達力を保つことができるとも考えられます。意味が完璧に伝達されてしまえば、そこで終わってしまい、その言葉が必要だった人にまで伝達しきれない可能性も高まります。特にウェブ上の文章は、きれいに納得できるような話があまり流通しないという現実があり、一般層にまで浸透しえるのは、ある種のラフさを持ったフレーズとなりがちなのです。

 まとめると、これまで各個撃破されがちだった不満について、バズワードの共有によって、行動や解決に向かう可能性が生まれてきた一方で、無意味な議論も呼び起して別の重要な問題を疎外することもあります。よって、本来的にはその概念の重大性を鑑みたうえでアテンションエコノミーを投じる/投じさせるべきだとも思いつつ、バズワードの候補を思いついた時点で書きたくなっちゃいますよね。

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