太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

「正解を探す」のではなく「正解にする」ためのポジショントークをしたい

photo by garlandcannon

まだ「正解」に消耗しているの?

たくさんの人の、とても多くの時間が、「正解」を探すことに費やされているように思えます。遠慮なく言えば、「正解」探しばかりで人生終っちゃう人ばかりじゃない? こういう女性に、こんな出合いをした‥‥どうするのが正解だろう? 新聞で、こういうことが問題になっている‥‥どういう意見を持つのが正解だろうか? 「正解」じゃないことを選ぶと、損? 悪? 迷惑? 「正解」病ってのが、いまの時代病のような気がする。

ほぼ日手帳2015年9月14日のお言葉

 ふと、ほぼ日手帳を眺めるとそんな言葉が目に入った。おりしも「結婚や子育てのコスパ」やら「会社員ブロガーはつまらない」などといった議論がインターネット上では流行っているようで、自身のポジションを賭けて互いに「正解」を競い合っているように思える。

 これまで「普通」の選択肢を狭め続けたこと、その「普通」の供給を充分に用意できなかったことの両面によって、提示されるレールのひとつひとつの競争率を無闇に上げてきました。それによって多数の「普通」でない人々を生み出し、また「普通」のレールに乗れたとしても、低い待遇で我慢させるための口実にされてきました。

 僕自身としては他人の人生に興味がないので、踊る人は踊ればよいし、踊りたくない人は踊らなければよいと思っている。皆がひとつの方向にいったら椅子取りゲームがつらくなるだけなので、その多様性が重要だ。

 ちなみに、「コストパフォーマンス」という言葉は価値工学理論(バリューエンジニアリング)において厳密に定義された用語なので、俗流で使われると恋愛工学的な残念さを感じる。

必要なのは「正解を探す」のではなく「正解にする」ための努力

「正解」じゃないことを選ぶと、損? 悪? 迷惑?

 もちろん、難易度の違いはあるし、マルチ商法などは周りにとって迷惑だ。だけど、アクティブな迷惑を被らない限り、「そんなやりかたじゃいつかダメになる」という宿命論や呪詛を吐いても、なんの生産性もない。仮に自分の持つ正解に「道連れ」を作りたいなら、それを魅力的にプレゼンテーションした方がマシだ。

 要するに「あっちはいかにダメか」というところの正当性に拘るよりも、「こっちのが魅力的」というプレゼンテーションを引き受けて引き込む方が建設的だという話だ。いわゆる『北風と太陽』である。このスキームであれば倫理的な問題に踏み込む事を回避できる。毎回それが出来るのかというのも難しいのだけど、犯罪行為でもないことへの否定ロジックばかりを考えていても仕方がないと思う。

 僕らにとって必要なのは、「正解を探す」「正解を考える」「正解を教える」といった固定的な「正解」を仮定するのではなく「正解にする」ための努力なのだと思う。その一環としてのポジショントークを提出するのは仕方ない。

決断とは間違った選択を後から正解にするための努力

 ポジショントークによる「道連れ」の性質は、自身がその状況に属している当事者性と、その状況の素晴らしさを自ら信じている妄信性の有無によって分類できる。

当事者性あり 当事者性なし
妄信性あり 素晴らしい世界をケーモー 若者応援おじさん
盲信性なし 沼地に引きずり込む 有利となる空気の醸成

 自身にとっての盲信性がないのに、私利私欲に基づいて他者をコントロールするために展開される言説やヘイトスピーチについては残念に思うけれど、自分が信じることへのポジショントークについては他者への強度はさておいても、していけばよいと思う。

 決断とは「間違った選択」や「正直度90%の約束」を後から正解にするための努力である。ただし、その「正解」は個々人の過程を通ってフィッティングされたものとなる。それは絶対的な基準をもった「正解」ではないけれど、「正解」じゃないことを選んだら損? 悪? 迷惑?という話だ。

 そんなわけで、ほぼ日手帳があると毎日ちょっとした気付き(意識高い用語)があるので使って「正解」だったなと。

ほぼ日手帳公式ガイドブック2016 This is my LIFE.

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