太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

2014年の普通の日記

年記

 このブログの位置付けとして「普通の日記」であることを過剰なぐらいに求めていた時期がある。2014年1月〜3月ぐらいは意識的に定型フォーマットをつくって、日々の雑感を淡々と書いていくという事を繰り返していた。他人の型にはまるようにしていかないと、再現なく崩していくところに価値を見出してしまいそうになっていたし、アクセス数などのKPIへの執着を一旦捨て去る必要があると考えていた。

 「できるから」という理由で執着しないようにするためには、「できないようにする」のが手っ取り早い。そのためには権限か動機か能力のうちのいずれかを差し替える必要があるのだけど、それを安全に達成するには「既存の型にはまる」のがひとつの方法である。自身に最適化されていない型の中でもがくことで、出来る事を出来ないようにし、出来ない事を出来るようにする。

 「型にはまる」というとなにか悪いイメージを抱く人もいるが、そもそも型にはまらないで出来る事がどれだけあるのだろうか。自身の合理性判断における客観性を過大評価し、自身の延長線上にあることだけで評価指標としているうちは、その小さな枠さえ超える事ができないように思う。「2014年をブログで振り返る」ひとりアドベントカレンダーが14日目になる事についても合理的な意味なんてないけれど、縛りの文脈なかで生まれてくる「場違い」を見つけようとするささやかな試みである。

 それは「計画的偶発性理論(プランドハップンスタンス)」ともいうべきものである。どうせ「運の問題」なのであれば、賭け金を下げて計画的にに偶然を起こす機会を増やすのは既に有益な戦略なのである。「消費者」としての我々は最低限のコストで最大限の機能を得るために、行為の先出しを嫌がるが、実際に価値を判定するのは「行為を行った後の自分」であることを少しは認識しておいて損がない。最低限のコストで最大限の機能を得るためにこそね。

 2014年を振り返ると、そういう意識が高まった年だったのだと思う。沢山のごっこ遊びをしていくなかで、偶然的に浮き上がってきたものを選びとろうとしていた。客観的に見たら全部「対したことない」のは重々承知だけど、いつの間にか結構出来るようになっていたりもするし、失敗した事は忘れてしまう。僕は長期記憶が苦手だから、書いておかないことは忘れてしまうのだ。

今年のお言葉

 これまで、「どう評価されるのか?」という観点で物事を決めすぎてきたところがある。「下手だけど楽しいこと」だってあるのに、「選んでもらう」ために「できるけど楽しくないこと」を続けても、それが好きな人には追いつけない。

 だから「こっちが好きなんだ」・・・もっと言えば「こっちが好きになるかもしれない」という地点に戻ろう。好意は評価に先んじるのだ。

日記の魔力

日記の魔力