太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

ドリカムデートはナイトメアズ・カム・トゥルー

ドリカムデート

 それな。僕も「二人を見ながら死んだ目でタンバリンを叩く」という事態に巻き込まれやすいスタンド能力を持っていたのだけど、そもそもが「ドリカムデート」の機会が多かったからなのだとやっと気付いた。

 「ドリカムデート」とは、サシはまだ早いとか煮詰まった関係性の二人が会う時にサポートメンバーが呼ばれるタイプのデートで、男女男という構成になる様がまるでドリームズ・カム・トゥルーであることから僕が勝手に名づけた……と思ってググったら、結構引っかかるのでみんな同じことを考えるらしい。金曜日の決戦に「無難」を意図して火薬庫になる泣斬馬謖な陣形である。

俺はお前のかませ犬じゃねーぞ

 事前に役割分担を明示してもらえれば大人な対応もできるのだけど、当日になって「そういうことか」って気付くと色々と暗い感情を抱く。特に女性側のサポートメンバーとして呼ばれていった映画館で、別の男性から敵意を感じながら「女男俺」みたいな感じで座らされて、女性側もそれにまんざらでもない感じだったりするとナイトメアズ・カム・トゥルーである。「俺はお前のかませ犬じゃねーぞ」とPOWER HALLが鳴り響く。

 自分が選択肢に入ってこない事を問題にしてるんじゃなくて、負ける前提の脇役としての当事者性が勝手に付与されて、二人のジェットコースタームービーの引き立て役にされる感覚が苦手なのだろう。「恋は盲目」というけれど、SNSでちょっと仲良くしたり、飲み会で同席した程度の事で懇ろになってるとか、下手したら横取りしようとしてると思い込まれて敵対視されると爆笑する反面、やがて悲しくなっていく。

 ドリカムもヒステリックブルーも男性メンバーの内のひとりが刑務所に入ってしまったのも分からないでもない。globe? 違うよ。ぜんぜん違うよ。YOSHIKIが加入して4人になったしね。相手の男性に安全な嫉妬を抱かせる媒介役をさせられてる僕ってなんだろうと凹む。

むしろ親密圏の価値共有に巻き込まれたい

 親密圏の価値共有が準公共圏にそのまま敷衍されていく境界線への巻き込まれ事故で全損する理不尽感。学生時代はドリカムデートがひとつの様式美になっていたが、その延長線上でいい大人がドリカムデートをするのは、もう辞めにしてほしい……なんて言いつつも、そういう感覚から逃げまわっていた事が生の実感を奪って僕を追い詰めているのではないかとも思う。

 むしろ、三十路を超えた今となっては安全に痛いアトラクションとして、アイロニカルに没入できる青春ラブコメを求めているのではないか。中学生に戻ってJPOPの歌詞を引用しようじゃあないか。俯瞰でみたら無様なのは同じなのだから、もっと当事者性を持って生きる実感を得たい。さすればナイトメアズ・カム・トゥルーはニア・デス・ハピネスに変容するであろう。

 結局のところで人間は堕落を認めた上で生きねばならぬ。結末ばかりに気を取られ、この瞬間を楽しめない。メマイ。人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。だが堕ちる道を堕ちきることによってウルトラソウルは輝くのである。生の実感は頽廃に至る道筋にある。

堕落論 (新潮文庫)

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