太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

『太陽がまぶしかったから』における「太陽」が何かを答える自薦集

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太陽がまぶしかったからチートシート

 読みました〜。このブログでは既にどんだけ振り返りエントリ書いとんねんという話なのだけど、お題とかに縛られないで「自分がよく書けた」と思った記事を提示する事が大事よねって思った。「読まれた記事」と自分にとって重要な記事が異なるのは仕方のないことだし、それを反転させる必要性もあまりない。

 これから自薦しつつ、論点を提示する記事は基本的には「読んで欲しい記事」ではあるんだけど、気恥ずかしいから埋もれてよかったと思う事もある記事でもある。重要な箇所を引用してあるので、これを読めば1年間の主張内容であった「太陽」とは何かが分かるという寸法である。そんなわけで「ブログで2014年を振り返る」アドベントカレンダー23日目は自薦記事について語りたい。

TASのために俺もお前も死ぬのだ

 ブログには失敗談も書くべきだとよく言うのだけど、偽善めいた事を言えば、「こっちはこうしたらダメだったよ」っていう報告は、それ自体で「獲って帰ってくる」に成功しているのではないかと考えているからだ。

 それには「生存バイアス」とは逆の「死亡バイアス」が掛かっているのは前提として、そもそも論理的な死者が語れる状況というのが、素晴らしい時代なのだと信じている。「敗軍の将は兵を語らず」というが、それこそが失敗の本質を隠してきたというのは周知の事実である。

社会にはもっともっと剰余を作ってもらわないと困る

 それはバタイユの言う「過剰」だ。太陽による贈与に見返りは必要か? 風の流れによる贈与に見返りは必要か? 剰余は一定の範囲を超えると「過剰」となり、それは純粋贈与に変質する。「希少な資源の配分」という問題から「豊富な資源を作る」という問題へのパラダイム・シフトとして話していた事だ。だから僕以外の人にどんどん調子に乗って価値を創出してもらいたいと思っている。

僕にはオタサーの姫が必要なンだ

 内気な娘のように、だれか自分に守られたい人が自分の元にきて、ひっぱって行き、いやおうなしに幸福にしてくれたらと、僕はじっとすわって待っていたのかもしれない。この劇的なボーイ・ミーツ・ガールによって守るべき姫ができれば頑張れるのかもしれないという論理は本質的に『車輪の下 (新潮文庫)』のハンスと同じことである。

 僕はカンフーの修行がしたいというよりも、カンフーを修行する必然が欲しかったのだろう。それはドン・キホーテが農夫の娘を「想い姫」だと思い込んで騎士道に邁進したのと同じことで、本当は誰だってよかったのかもしれないけれど、でも、だからこそアイロニー含んだ「ときめき」が必要・・・なんて寝言を言ってるうちに、お前もう32歳だぞ! 

幻想殺しのその先へ

 要するに「あっちはいかにダメか」というところの正当性に拘るよりも、「こっちのが魅力的」というプレゼンテーションを引き受けて引き込む方が建設的だという話だ。

 いわゆる『北風と太陽』である。このスキームであれば倫理的な問題に踏み込む事を回避できる。毎回それが出来るのかというのも難しいのだけど、犯罪行為でもないことへの否定ロジックばかりを考えていても仕方がないと思う。

非効率なダンス

 言葉を尽くさないと伝わらない人に分かってもらおうと努力するのは、それこそ仕事や友人や恋人などの利害関係者で手一杯なところがある。僕はゲマインシャフト的世界観においてこそ明白な差別主義者であって、誰もと無理に仲良くしたり、攻撃する必要性を感じない。大抵の人や出来事にはデタッチメントである。

 そんな事を言うなら最初からバーにでも行った方が早いのだろうし、それこそ婚活パーティーだって悪くはないのだろう。非効率であるからこそ楽しい。10人の友達を得るために1万人に読まれるプレゼンテーションをするのも悪くもないと思っている。吹雪の中を歩きまわったように。

オネエになってしまう事がある

 それはそれで何となく落とし所を適当に答えつつムーンウォークで退場してくのだけど、一旦オネエモードで回答を作っているところがあるんじゃないかという気がしてきた。「もうっ! そーゆうのが心のブスよ〜」みたいな。

 名前の問題もあるのかもしれないけれど、ネット上では「女性だと思っていた」とか、「女性的感性が強すぎる」みたいな事を言われる事がある。でも女性っていうより「オネエだよなコレ」というのが自己分析。特に男女の揉め事の時ってオネエになっちゃうことで、どちらか一方の意見に惑わされることを回避しつつ、毒舌的な分析ができるところがあるのではないかと。

飲めるカレー屋

 カレーは飲み物であると言いつつも飲むのが辛いカレーばかりなわけで、飲める事を売りにするカレー屋もあり得るのではないかと考えた。スープカレーはその名の如く「飲む」という行為が重要で、喉を通り抜けるスパイスの刺激もおいしさに含まれている。もうやんカレーってもったり系カレーなはずだし具も大きいわけで、飲みやすくはない。でも「飲める」ってのはあくまで可能か否かだけを指し示していて、「飲みやすい」とは言っていない。そういう意味で言えば丸呑み可能であるのだから嘘ではない。利根川は正しいのである。ちなみに『カレーは飲み物。』って店は実在する。

オシャレは商取引なのか?

 「女子は化粧やスタイリングにコストがかかっているのだから、デート代は男が出すべき」という警句がある。一理あるし、やぶさかでもない。ただ、その時に思い出すのは「でもワグナーを聴くことは労働ではない」という言葉だ。

 「あなたへの労働」としてお洒落をしたり、パンを一緒に食べたのだと表現されると、嬉しいのかどうかよくわからなくなってくるし、その魅力は商取引なのだと思えた瞬間にヒビが入ってしまう。ラカンは相談者や患者に必要以上の好意を抱かれないように必ず対価を求めたというのだけど、それをしてしまうようなものだ。もちろん意図的にそうする事もあるのだろうけれど。

メタ議論の必要性

 この特性は少年漫画において特に顕著になり、ミニ四駆対決・野球対決・ボクシング対決のような対決が本質的なこじれの原因とはあまり関係しないままに開催されて、その闘いの過程の中で止揚や妥協や順列が見いだされる流れがある。「ミニ四駆の惑星」においては、ミニ四駆以外の問題については「人それぞれ」の平行線になりがちな中で、「ミニ四駆」という軸を入れることで、明確なルールに置き換える事ができる。これは、、そういう人間しか住んでいない惑星だからである。

 はてな村という環世界においてはブクマ数やPV数などがひとつの指標にはなるが、ツッコミ甲斐がある方が伸びるとか、時間軸が重要だとかがあって、指標としてはあまり適切でない。それに、はてなというサービスを使っているから身内だと言うのは無理があるとも考えている。増田*2の人々がはてなブロガーに厳しいのは、ドメスティック・モヒカンが故なのだとも思うのだけど、距離感が誤っているからか、まともなコミュニケーションになりにくい。

道重さゆみの神話化

 それでも名前を聞くたびに「思い出す」という事はあるのだろう。神話とは過去から何度も回帰してくる物語である。神話化の達成は、しばしば事柄と感情の心的複合<コンプレックス>によって「思い出す」という形を取る。僕が眼前に見ているモーニング娘。'14には当時のメンバーが在籍していないのにもかかわらず、主観世界においては矢口真里にまつわる色々な感情を同時に僕に向けて語り掛ける効用があるのだ。

 この時に「思い出す」ための媒体は昔話からでは弱くて、変形されて存在する一見しては関連性が低い事柄が媒介となるほど、神話の立ち上がりとしては鮮烈となる。例えば紅茶に浸したマドレーヌの香りである。

アドバイス罪の回避

 それ故、僕が人に何かを言うとしたら、「ちゃんと寝て」「ごはんを食べて」「歯磨きしよう」「椅子には拘れ」ぐらいしかないのだろうとも思う。それらは問題そのものには直接的には関係しないだろうけれど、立ち向かう力を少しだけ増やしてくれる可能性があると信じてる。具体的な話を何も聞かずに言えるのはそれぐらいだし、知りもしないで関係ありそうな事を言う方が混乱するだろう。幻想の期待を抱かせるのばかりがうまくなっても、準備をさせないで荒野に放り出すだけである。

投機型実行

 つまり「目的に最適化しすぎない」という事であり、なるべく共通部分を投機的実行しつつも、ディテールを外的要因の変化に応じて変形できるような形で積み上げていくのが有利な戦略となる。このようなゼネラリストは「プロメテウス型人間」と呼ばれる。

 しかしながら、もっと投機的であっても先払い型の自己投資をしていかねば、外的要因のなすがままに器用貧乏になっていくだけであるとも言える。つまりプロメテウス型人間を目指しつつも、明確なコアコンピタンスもメンテナンスして広報していく事が重要となる。外的要因に応じた「当たり前品質」を上手くやる事ばかり考えるだけでなく、僕自身の「魅力的品質」を高めていかねば、いつまでたっても僕自身の意志は外的要因に反映されないのだろう。

全部、太陽のせいだ

 以上のように、「妖怪」に限らず、「別人」に100%転嫁する形の主張や感情操作は頻繁に行われており、あまり良くない事に利用されがちな側面がありました。しかし、だから「それをするな」ではなくて、特性を見極めて適切に利用していく事も必要なのだろうと考えています。
 物理的な現実として「100%の原因」なんてのは殆んどありえないわけだけど、人間は共同幻想に生きているわけで「他責的な部分に100%の原因」があり、それが「治癒」したのだから「赦す」という象徴界での記号操作が必要になる場面もあります。こと、人間同士の話であれば、徹底的に凹ませたり、現実らしい現実の荒野に放り出すことだけがゴールになるわけもないのです。

商取引に捉えた瞬間に失われるもの

 結局の所で同化政策は失敗し、互いに見下しながらも許容し、自分に合うパーツパーツは取り入れるという事になる。これらの流れはローマ人とユダヤ人の対比などを題材に何度も何度も戯曲化されており、答えはない。小さなパイだからこそ奪い合う必要性があるのか、小さなパイだからこそ共存する必要性があるのか。そもそも針小棒大な大言壮語に意味があるのかについて考えていきたい。

分からないことを受け入れて、それでも理解を試みようとする運動量が愛

 恋がはじまるのはいつだって「あなたの事をもっと知りたい」という欲望からであり、恋がおわるのはいつだって「あなたの事はもう分かった」である。完璧な殺人事件は死体が発見されない事で達成できるが、死体が発見されなければ事件を解決するための欲望を維持できない。「まだ伝達すべきことが残っている」という共同幻想を維持し続ける必要があるのだ。

人間関係10連ガチャ

 関係性は「試す」ものではなくて「育てる」ものです。「是非会いたい」と思う人についてまで、こちらの事を最優先に尊重しないなら関係を断つという事を繰り返していては、可能性を随分と狭めてしまうように思います。もちろん、一定のところで「損切り」をする決断も必要にはなるのですが、僕達のありえたかもしれない友愛を簡単に殺すものがいるとすれば、その可能性に最初からあまりに多くの期待を寄せる僕達自身ではないでしょうか。

自分にとっての「温泉」を作る

 これは「人格労働」と「感情労働」の違いだと僕は考えていて、傍目には同じことをしているように見えても維持するために使用される「人為的なエネルギー投下の有無」によって持続可能性や平均的な品質が全く異なるという事を経験しているのだけど、まさに「温泉」と「風呂」の違いでもある。

 「気持ちよさ」を維持するために多くの人為的なエネルギーが必要になってしまえば、結局のところで折れてしまう可能性が高いのだけど、自然に湧いてくるものであればクオリティ追求に集中できる。もちろん、「温泉を掘る」ための努力は必要になるけど、そこから先にも多くの維持コストが掛かってしまう事にあまり拘泥すべきはないのだとも思う。

騎士として太陽を崇める

 独りよがりに優しく、不自然に紳士的で、自分の気持ちを隠しながらクラっしゃられを排斥しようと暗躍する騎士が見据えているのは、もはや姫自身ではなく、姫を媒介にした「空間」の維持であった。仮に姫の歓心を得られた所で、コミュニティがイヌカレー空間になってしまった時点で敗北なのだ。だけど、結果としてそれらの行動がどうしようもない結末を呼び込んでしまっていたのではないかとも思う。

太陽がまぶしかったから

 自分自身を信頼できないからこそ、期待値を下げておいたり、みんなすげー!ってなっていきたいという思いがあったりなかったりする。だけど本質的には自分の価値を上げていかないと、それも難しいという事は分かっている。

 それでも「太陽」は過剰から転じた純粋贈与であり、僕の提供価値なんてものを無視してエネルギーを提供し続ける。僕はそんな太陽がまぶしかったのだ。

まとめ

 2013年から持続していたテーマはトリスタン・ツァラの「5%」であり、その事については電子書籍を含めてかなり語り尽くした感覚があって、2014年に並行して展開していたテーマは「太陽」であった。結果として『「キラキラブロガー」がまぶしかったから』というオチがついてしまったりもしたけれど。

 例えば「太陽光エネルギー」はこちらの提供価値や見返りなんてものを無視して、ただそこにある贈与となる。オシャレや恋愛や芸術に商取引感覚や損得勘定を持ち込んだらオシマイだし、ブログ運営も僕にとってはそうではない。それらは『ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)』を予言の自己成就させるという僕の誇大妄想的な欲望に繋がっている。パラダイムとは「豊富な資源」と「貴重な資源」の定義の問題である。

・神の視点からの世界理解
・ネット上に作った人間の分身が金を稼いでくれる新しい経済圏
・(≒無限大)×(≒ゼロ)=Something あるいは、消えて失われていったはずの価値の集積

 もちろん「ゼロ」や「無限大」の話が簡単にできると思っているわけもないのだけど、まだ「貴重な資源の等価交換」という暫定的なパラダイムに消耗しているの?という感覚もある。そろそろ来年は、そういう断片的な発見に対して「うぉっ!まぶしっ!」と言うだけで満足しないで、自分の「温泉」を掘り進めたい。

腹を割って話した

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