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太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

読モ化するWebライターに『エンタの神様』の末期を感じる

ウェブ ウェブ-メディア

The puppet maker

「読モ」化しているライター

まず、「読モ」としてのライターには、なによりもタレント性が求められる。顔出しはもちろんのこと、プライベートな情報も重要な「商品」になる。
さらに、「読モ」としてのライターにとっては、交友関係も「商品」になる。それらは主にSNSによって可視化され、お互いがお互いに言及し合うことによって、自分たちの価値を高める。

 顔出ししたタレント性のあるライターがプライベートや交友関係を商品にしながら、互いに言及し合って自分たちの価値を高める。ライターにかぎらず、ブログなどにも増えてきたことだ。それ自体に良いも悪いもないのだけど、言語化されると「それ!」って思える感覚にライターとしての力量を感じる。

『エンタの神様』の末期に似ているWebライター界隈

 個人的には、「これはエンタの神様の末期に似ているんだ」という感覚を抱いてきた。芸の上手さはそこそこにタレント性が第一に求められ、ひとつの芸が受ければ同じようなネタで大量の外部オファーが来るようになり、身内芸人同士のイジりでトークを成立させる。末期になるほどその傾向は強くなって、出演の途端にキャーキャー言われて、いつもの芸すら進まなかったり、楽屋ネタばかりになっていた。

 ライター界隈でオススメ記事にリンクしていく企画などで「自分や仲間にメリットがあるから送客したい」が評価軸の中心にあるのがすけて見えるとうーむとなる。スモールワールドな感じもそうだけど、半素人が「イケてる俺ら界隈」を醸し出そうとすることに共感性羞恥を覚えてしまうのだ。この辺は、ライターよりも「ブロガー」や「Twitter芸人」と呼ばれるひとに感じることのが多いけど。

 とはいえ、そもそも集客であれ、広告効果であれ、好感度はブラスにしかならないのだから問題はない。同じ文章であっても誰が書いたのかは大切な要素となるし、憧れる存在に近付こうとする過程で発生する運動量は大きい。Welq事変以降だからこそ虚実をひっくるめたイケてる感にパワーバランスが傾いていくのは理解できるし、そもそもの人気があるのは力量とタレント性の両面があるからだろう。

まぁ、嫉妬なんだけど 

 だから、それらに感じるモヤモヤは自分自身のタレント性が皆無なままでライターの真似事をやってきた嫉妬のようなものだ。無記名記事や都度の別ペンネームで記事を書いてきたことのが多いし、パーソナリティが必要とされる外部媒体案件は基本的にお断りさせて頂いている。

 「私のタラレバ」として、もっと本格的にライターの仕事を請けていく方向性もあったのかもしれないが、実際にタレント性やライティングのスキル足りないことと、必要以上の羞恥を感じることの両面から無理だったことは理解している。だからサッカー選手やお笑い芸人になれなかったのと同次元の話にどうこう思うこと自体が烏滸がましいのだけど、布団をかぶって足をバタバタしたくなる感覚だけは拭えない。

 まさに「読モ」という比喩の通り、自撮りを積極的に公開できるライターは半素人の丁度よいイケてる感が羨ましい。モテを感じる。太陽が眩しい地下に生きる存在としては、「また村が一つ死んだ。行こう、ここもじきリアルに沈む」という寂寥感を覚えながら撤退戦を続ける。

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