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太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

フォロースパムやブクマ互助会を手法と明言するには釣り人と魚が近すぎる

photo by Juan Seguí Moreno

フォロースパムの話

 Twitterで大量のフォローをしてフォロー返しされた人だけ残して、後はリムーブってのを繰り返すことでフォロー数を増やすという話。2010年ぐらいに「#followmeJP」のスパムとして流行っていた気がするけど、また同じような話をしているようだ。はてなブックマーク互助会が2013年の繰り返しであれば、フォロースパムは2010年。悪い方の歴史を繰り返すのは人間のサガを証明しているようで面白い。

 現実問題として人間には返報性の原理があるので、フォロー返しやリプライをきっかにしたフォローをすることはある。はてなブログであればブクマや言及も同じ。でも、それを「手法」として明言されるとすごく嫌な気分になるし、複数人にしているのを見ると気持ち悪い。

釣りのノウハウと釣った魚が近すぎる

 確かに一定の効果がある時期もあったのかもしれないけれど、手法として明言されたら終わってしまう。「妻に機嫌よくいてもらうための10の方法」を妻に話してしまったら、その行為自体にバイアスが掛かってマイナスの効果に転ずるのだ。花を買ってくるのは本心からじゃなくて、安い手法に従っているからと思わせることになる。それらはナンパも営業も同じ構造にあるのだけど、相手のクラスタが分かれているという前提がある。

 SNSやブログにおいて手法を開示することの問題は釣った/釣られる魚と釣りのノウハウの位置が近すぎることにある。一時のドヤ顔のために「お前はこうやって釣られたんだよ」とか「これからも釣っていく」と言われれば、通知欄に出てくるたびにイライラするし、何をされても「こちらを釣るためにやってんのかよ。うぜぇ」と感じる。それを「参考になります!釣られて楽しい!」となる人はちょっとアレ。手法がダサい以上に、それを明言するのが致命的なのだ。

手法として明言したら終わる手法

 フォローも言及もブクマも個人的な好き嫌いによって偏るのが当たり前だし、ポジティブに捉えているけど、良くも悪くも釣られやすい人たちの通知欄を集中的にチカチカさせて、それを手法として明言されると腹が立つし気持ち悪い。

 なので「スパム扱いされるからやめよう」と自粛を呼びかけるのはちょっと違うんじゃないの?って思うわけです。「知り合い同士はブクマしやすいよね」っていう性善説をカマトトぶりながらも信じていたのに「新着に載らなくなるから止めよう」と明言されると、やっぱりそっち目当てだったのか……とも思えてしまいます。

 既に周知されたダサい手法を自分にまで適用されると、「その程度の存在に見られているのか」と暗い気分になる。数を急速に増やすことに最適化するほどに個体識別が雑になっていくだろうけれど、人間性や社会性を捨て去ってまでフォロー数やアクセス数が欲しいのってなんだろうね。

追記

 プレイヤーとキュレーターの兼任が増えれば、評価軸が偏るのも当然か。