太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

学習曲線が鈍化すると飽きてしまう病気なのだけど「圧倒的成長」ができなくなってからの踏ん張りが重要である

すぐに飽きてしまう病気

 色々なソーシャルゲームを始めてみてはいるのですが、半年以上続けられた事がありません。ある時期だけを見れば熱病のようになっているのに、すぐに醒めてしまいます。パズドラを始めとしたスタンドアロンで進行するタイプのソーシャルゲームには大きく分けて3つの成長があります。

  • ゲーム内のパラメータ成長
  • 自分自身の操作精度の成長
  • フレンドのパラメータ成長

 3つ目の「フレンドのパラメータ成長」がソーシャルゲームの特徴です。ゲーム内で勧められたり、掲示板やTwitterなどがきっかけでフレンド自体は増えていきましたが、ゲーム内でメールをしたりといった事はしていません。それでも互いに成長したり、スキルの組み合わせやレベルによって頼む事が増えるとか、別のゲームであれば「エール」みたいな形で回復&アテンションをあげるといった形で共犯性を高める効果はあったと思います。

ゲームに対する収穫逓減の法則

 この成長にはそれぞれ収穫逓減の法則が成り立ちます。 最初の10時間をプレイした時と100時間プレイした後の10時間ではそれぞれの「増加量」が大きく違うことは直観的に明らかだと思います。ここで「フレンドのパラメータ成長」だけは僕の収穫逓減とは独立していますが、フレンドを頻繁に入れ替えない限りは収束していきます。

収穫逓減(しゅうかくていげん、英: Diminishing returns)は、経済学用語であり、収穫逓減の法則とも呼ばれる。固定および可変の入力(例えば工場規模と労働者数)のある生産システムで、可変入力がある点を過ぎると、入力の増加が出力の増加に結びつかなくなっていく。逆に製品をより多く生産するのにかかるコストは増大していく。これを相対費用逓増の法則(law of increasing relative cost)あるいは機会費用逓増の法則(law of increasing opportunity cost)、限界生産力逓減の法則とも呼ぶ。表面上は完全に経済的概念だが、収穫逓減はテクノロジ的関係も暗示している。収穫逓減の法則は、企業の短期限界費用曲線が結局は増大することを示している。

収穫逓減 - Wikipedia

 この収穫逓減が見え始めると途端に飽きてしまう性質が僕にはあります。最初の試行錯誤をしている時期はすごく楽しいのですが、ある程度になっていくと得られるものが少くなって、面白くなくなっていくのです。これは「結果」よりも「圧倒的成長」のリワードが自分の中では強いからだと思います。

 若いうちはそれでよかったのかもしれませんが、プロジェクトリーダーになれても役職が付かないし、恋愛ごっこはできても結婚が出来ないまま中年を迎えつつある自分に愕然としてしまう事があります。所謂ネオテニーですね。

学習曲線とプラトー

 つまり、「だいたい分かった」と言うまでの見切りが早すぎたのではないかという反省があります。学習曲線には以下の種類があると言われています。

  • 正の加速曲線・・・基礎が出来るまでは時間が掛かるが、その後は一気に学習が進む
  • 負の加速曲線・・・基礎が出来るまでは一気に学習が進むが、伸び悩む
  • S字型曲線・・・前半は正の加速曲線を描くが、後半になると負の加速曲線となる

 一般的な学習においては、S字型曲線が複数回起こると言われています。そして成長が感じられなくなった状態を「プラトー」と呼び*1、ここを抜けだして次の曲線に進むことが必要になるのですが、自分はひとつ目のプラトーの時に「圧倒的成長」が感じられなくなって飽きてしまうのです。

ネオフィリアな虎

 イギリスの動物学者ライアル ワトソンは、「なぜ人類だけがこの地球上で進化と繁栄を得たのか」という問いについて、人間存在の本質がネオフィリア(新しもの好き)だったからという仮説を提示しました。

ライオンは生まれついての怠け者。食料さえ十分にあれば、怠惰な生活をいとも簡単に受け入れ、木陰なんぞでこれ幸いとばかり、いくらでもうたた寝にふける。

トラはそうはいかない。彼らには求めるものがはるかに多いのだ。神経系統が無為を嫌い、長時間くつろぐことを許さない。どんなにたらふく食べさせようと駄目なものは駄目なのだ。檻に入れると、すぐに退屈して落ち着かなくなり、中をうろうろと歩き始める。それだけに、檻で飼うのが困難をきわめる動物だ。

 この区分において大抵の人間はトラ側であるという事です。虎と言えば山月記や塚虎*2など、引き篭るイメージがありますが生物学的には逆なのだそうです。僕自身は、どんどん新しいガジェットを買ったり、新しい資格を取ったり、新しい場所に顔を出したり、新しい事を始めてみたり。新しい経験による効用を得ていかないと退屈で死にそうになってしまう特性があるため、まさに虎的な性質を持っています。

 そのうえで1回目のプラトーで辞めて新しい事を始めていくと、その学習曲線そのものに飽きてしまうという倒錯が起こります。今となっては新しい事を始めて、苦労して、それなりに出来るようになるまでの段階すら予定調和的で、ひどく退屈だったりもします。それは、これまでの経験と似ているから情報量が下がっている部分と、似ていると思い込んで目を瞑ってしまう部分の両面があるのでしょう。なんていうか触れた瞬間に先の展開が大体は分かってしまうような妄想を抱く事があるのです。

 なので2回目以降のプラトーを得るための努力をしていかないと退屈で死んじゃうよォ。となってしまう事に危機感を覚えたりもしています。『闇金ウシジマくん 1 (ビッグコミックス)』の登場人物のようにパチンコにハマる事すら出来ないというのは、寂しくもあります。

シーソーゲームと内観

 以前に「ダイエットゲームをするためにわざと太る」という倒錯を書いたこともありますが、漸近的発展が望めなくなると「シーソー」で騙していく事になっていきます。佐々木敦が『ニッポンの思想 (講談社現代新書)』で指摘する通り、この「シーソー」は思想の分野でマーケットを回すため積極的に取られた戦略でもありました。サブカルー政治、左傾化ー右傾化などを行ったり来たりして「運動量」を作らないと退屈になってアテンションが保てなくなるのです。

 「運動量」のためには「不足」が必要です。ゲームにおいては、このカードがあればとか、このスキルのレベルが上がればといった「不足」とそれを埋める行為がしやすいですが、それそのものをメタに眺めた場合に、あまり良いリワードは望めません。むしろプロとして認められない範囲においては「げんじつ!」のパラメータが反比例してしまう可能性のが高いのです。

 そんなわけで、「新しい事」ばかりに執着するのではなくて、今の自分の中にある材料を棚卸ししながら2回目以降のプラトーを探っていく事が必要な時期に入っているのでしょう。それはきっとミドルエイジクライシス以降を乗り切るためにも必要な事なのではないかと考えています。学習曲線が鈍化すると飽きてしまう病気だけど「圧倒的成長」ができなくなってからの踏ん張りが重要なのでしょう。

千のプラトー 合本版 資本主義と分裂症

千のプラトー 合本版 資本主義と分裂症

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*1:ドゥルーズ!

*2:臥龍/鳳雛に対応する司馬懿の呼び名は塚虎だそうです。