太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

大枠としては殆んど意味がないという認識と、だからこそ当事者としてはせめて良き想い出としてやっておこうという態度

f:id:bulldra:20140627084325j:plain

小さなはてな村の中のさらに小さな一角

 個人の日記をひっそりと書いているだけなのだけど、一部の人だけから芸人崩れっぽい扱いをされる事があって、そのギャップに困惑する事がある。そもそも、小さなはてな村の中のさらに小さな一角の話でしかない。「はてな村民」なんて数千人程度のものだろう。炎上こわい。炎上こわいと言いつつ、はてなで炎上しても1記事ごとに呼べるのはせいぜい2万PVぐらいがMAXだし、増田辺りで炎上するとブログまで来ない事のが多い。普段は本当にひっそりとしている。

 だから良い意味でも悪い意味でも公共圏に近い場所に引っ張り出されると「誰これ?」「気持ち悪い」と困惑する人が増えて申し訳ない気分になる。自身にとっての重大事と、他人にとっての重大事と、公的な重大事はそれぞれ違うという事実を認識できない行為にイライラすることが多いのだけど、そこに加担させられる罪悪感。

私的現実と公的現実

 セカイ系と呼ばれる作品においては、「キミとボク」の危機が、そのままセカイの危機に直結する事が前提となる。でも、現実には社会なり組織があり、いくつもの「キミとボク」がある。その中のひとつが情熱的なキスをしても、悲しい別れをしても社会の物理的な構成は殆んど何も変わらない。変わるのは当事者としての世界認識だけである。

 私にとっての重大事は、他人にとっても重大事だという相関はあまりないし、ましてやそんな事で公共圏を使うなという意識があるからこそ、僕の名前と紐づいて勝手に公共圏を汚されると残念に感じる。その一方で、増田なりブックマークなりは公共圏なんかじゃないのかもという意識もある。数千人のなかの話であれば、ちょっと大きい会社ぐらいの規模だから、普通の社員が社内報に載ってしまうぐらいはあり得るのかもしれないし、小さな組織票を元に選抜されても対した話ではないのかもしれない。

自分の周りだけをサンプリングしたときに出てきた統計値

 でも、だからこそ、そこまでであることを意識すべきでもある。自分の周りだけをサンプリングしたときに出てきた統計値を社会全体に敷衍できると考えるのは誤りであって、自分の枠外を含めてどうなっているのかについては出来る限りバイアスをなくして認知し、かつ働きかけていく方が幾分かマシである。「お前の中ではな」としか評価できない事を躊躇いなく公的な事のように言うのは恥ずかしいという意識を保ち続ける必要があるのだろう。

 宇宙規模のことを考えるたびに、自分が居られる時空間の小ささに気付くことになる。大枠としては殆んど意味がないという認識と、だからこそ当事者としてはせめて良き想い出としてやっておこうという態度は同居しえる。コップの中の嵐を眺めている自分も所詮は少しだけ大きなコップの中にいるのに過ぎないわけだし、一般論だけではどこにも行けない。

関連記事