太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

「お前はもう必要ない」と言ってもらうのが、ヒーローの仕事

photo by Terry McCombs

仕事納め

 仕事納め。年末は馬鹿みたいに大変だったし、いまでも緊急連絡を受けられるようにしてあるのだけど、年末年始をしっかりと休める可能性はそれなりに高い。クリスマス前から現場近くのホテルに泊まりこんでいたり、システムセンターの休憩室でどん兵衛を食べたりしていたのも今は昔。僕がいなくてもなんとかなる瞬間が増えてきた。

 意識的にツールやチェックリストを作ったり、アシストに徹したりしていると、あまりやる事がなくなってくる。それは「僕が楽をできる」が動機の大半だったはずなのだけど、充分に省力化した作業は「誰にでもできる」ものに変質する。まだまだ「もしもの時のためにいてくれ」となってしまう事も多いのだけど、いなくなってしまえば、すぐに日常に埋没する程度の話なのだろう。

属人化の解消

 どこかの就職面接で「あなたの持っている技術はあなたの論文を読めば理解できるのだから、あなたを雇う必要はない」なんて話があったようなのだけど、その手離れの良さは名誉なのかもしれないと思う。SATP細胞の逆だ。他の領域の改善も出来るようになるというポテンシャルに関しては充分なアピールになるのだろうが、既存の領域に固執するつもりなら本人に居続けてもらう必要はあまりない。

 コミュニティの話も同じで、「誰かと誰かを繋ぐ」みたいな事がうまくいくほどに僕がいる必要はなくなる。『ファイト・クラブ [DVD]』のように僕が言い出しっぺだった事も、だんだんと知らないメンバー達が回すようになって、僕はもういなくて大丈夫かなってなる事がそれなりにあった。それは寂しさ半分、達成感半分の奇妙な感覚であるし、最大多数の最大幸福にちょっとだけ貢献できたという妄想混じりの自己肯定感もある。ただの嫌われ者だったのかもしれないけど。

「お前はもう必要ない」と言ってもらうこと

 結局のところで「お前はもう必要ない」と言ってもらうのが、僕の目指すべきところなのだろうと思う。何度も呼ばれてるうちは何も解決できちゃいない。誰の寄与かに関わらず「今となっては役にたたない」と思われるようになっていく過程が必要なのだ。傍から見たら自分が埋められるための穴を自分で掘り続けるように見えるだろうし、自分の居場所をまた作る必要があるのもダルいのだけど、きっとそういう事だ。「必要ないけど居てほしい」と言ってもらえたら最高だけど、それだけに安住すべきでもない。

 齢を重ねてヒロイックシンドロームが奇跡的に治癒したのか、より深刻に進行してしまったのかは分からないけれど、「呼ばれて、解決して、追い出される」というルーティンを完遂できなければ、僕の仕事は完遂できないのだという思いが強くなっていく。それだって、自分が去っていく事に罪悪感を抱きたくないというエゴなのだけど。

七人の侍

七人の侍