太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

人月単価を前提にするとドタキャンされた時の損失計算がおかしくなる

人月の神話

 業務システム開発を行う際には「人月」という単位で掛かる工数を見積もって対価を請求するのが一般的です。AシステムのBモジュールは、Xランクのエンジニアが10人・5ヶ月必要だから50人月、Xランクのエンジニアは1人月単価100万円だとすると合計5,000万円請求するといった塩梅です。

 自身の1人月単価を営業日で割れば1営業日の単価、時間数で割れば時給が算出できます。これは「売上高」であって直接的な給料としてもらえる額ではなありません。会社はこの売上を分解して、設備投資や販売管理費や株主配当などに振替えるので、自身の給料が売上高を超える可能性は限りなく低いです。

 それでも「私の市場価値」の指標にはなるし、お金を払ってる側からすれば内訳などどうでもよい話です。自分の給料はさておいて現場に行ったら、粛々とその金額を超える程度の価値を創出すべきという規範があります。

「欲しいか?」と「コストパフォーマンス」は相関しない

 お年玉をもらった子供が「おつりが入っているね!」と言ったという話があるのですが、これは1万円札での買い物ばかり見ていて、五千円札や千円札は「おつり」という「商品への付録」であって、それが「お金」であるという認識がない子供もいるという事です。

 僕自身も小学生のうちは「お小遣い」をもらったことがなくて、代わりに本やゲームやパソコンやおもちゃなど、あまりに連続しなければ殆ど言うがままに買ってもらえていました。パソコンゲームに関しては従兄弟に譲ってもらっていたし「自分で何かを買う」という機会自体があまりなかったように思います。

 なので、良くも悪くも「これは欲しい物か?」という気持ちだけが大切で「金額」という概念を考えた事が少なかったのです。お小遣い制になってからはそんな事もないのだけど、そのイノセントな感覚が懐かしくもあります。一方だけが自分の値段やら、再生産コストを明確に把握してしまうと話がおかしくなりやすいなと感じる事があります。

自分の気持ちと消費されたコスト

 他人の時間労働価値を低く見積る人は唐突に予定変えてきたり、要領の得ない振り回し方をしてきてこちらの時間配分を狂わせる事が多くて、たかが数千円の食事なんていくらでも奢るわけで、そちらの損失感のが大きかったりもします。でも、単価計算なんてしていなければ、そこまで意識することなんてなかったんだろうとも思います。

 本当はその人にとって「それが価値ある事なのか?」だけを考えるべきなのに、当事者になると、どれだけ機会費用を蕩尽したかを優先的に考えて「回収したい」とすら考えてしまう事もあります。もちろん、そのような感覚を一切放棄すべきってことではないのだけど、なかなか面倒な感覚だとも思います。

 人間関係はコストパフォーマンスとは別のレイヤーに置くべきで、こういう時に感じてしまう「僕は人としての器が小さい」という自己嫌悪が一番の損失だったりもします。恋愛工学は正しいんだろうけど、ゴールが違うんだよなぁ。

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