太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

ほぼ日手帳2014と1年間過ごして刺さった「日々の言葉」選集

photo by harpsicello

ほぼ日手帳2014で刺さった「日々の言葉」

 ほぼ日手帳の日別ダイアリーの下部には『ほぼ日刊イトイ新聞 - 目次』から抜粋された「日々の言葉」が書いてあって、日々の暮らしの中で目に入るようになっている。「邪魔」という声もあるようだけど、僕の場合はちょっとしたヒントになったり、気が楽になったりと、なんというか救われてきたところがある。

 そんなわけで、「2014年をブログで振り返る」アドベントカレンダー13日目は、ほぼ日手帳2014の「日々の言葉」について語りたい。

2014年1月8日

「ほめる人」という産婆のような役割がある。「ほめる人」はほめることにけちであってはいけない。「ほめる人」は、おもしろさや才能について、うそやお世辞を言ってはいけない。

ー糸井重里が『今日のダーリン』の中で

 「承認をケチるな」「でも嘘やお世辞は最低限にしろ」を意識したい。身内イケてるよね感が苦手だし、照れ臭くなったり、張り合ってしまったりで、なかなか人を褒められないのだけど、褒めるべき時に褒めないのはダサいなーってのがある。

2014年1月15日

わたしは「いてもいいんだ」という肯定感。わたしは「いたほうがいいんだ」という歓び。それは、じぶんひとりでは確かめにくいものだ。「いてもいいよ」「いたほうがいいよ」という、声や視線が、「誇り」を育ててくれるかもしれない。懸命に勉強をして、じぶんが「いてもいい」ことを、なんとかじぶんで探しだすことも、ありそうだけれど、ひとりでやるより、誰かに手伝ってもらったほうがいい。

ー糸井重里が『今日のダーリン』の中で

 結局のところで承認を自給自足し続けるのは難しい。「自己肯定感」とは言うけれど、何の根拠もなしに肯定感を持つのは難しいし、歪なものになってしまう可能性が高い。先の「ほめる」事にもつながるのかもしれないけれど、もう少し評価貨幣を融通しあってもよいのかもしれない。

2014年1月31日

私はね、「いのち」とは「時間のなかにある」と思っているんです。たとえば、私がこの取材を受けている時間、あなたが、この取材をなさっている時間、それが本当に「真心をこめた時間」であるか否か。それいかんによって「時間の値打ち」が、つまりは「いのちの値打ち」が、決まってしまう。だから、いいかげんな取材をすれば、「今ここにある、あなたの人生」そのものが、いいかげんなものに、なってしまう。

ー辰巳芳子さんが『辰巳芳子さんが教えてくれたこと。』の中で

 他人の時間を雑に扱う事に慣れている人には関わりたくない。コミュニケーションコストを釣り上げたり、ドタキャンしたり、必要性のない備えを強制したりするような人と関わるほどに「いのちの値打ち」 が下がっていく感覚がある。

2014年2月14日

ぜーんぶ知ってしまうと、それで終わっちゃうから。たのしみを残しておかないと。なんていうの? 男と女みたいなものですよ。愛するというのは、すべてを知ろうとすることとはちがうんだよ

ー糸井重里が『今日のダーリン』の中で

 伝えるべき事がなくなくなったら文明は終わってしまう。自分には明確に理解できないままであっても認めるに足る諸要素こそが愛である。「知りたい」という欲望を抱くことと、本当にすべてを知ろうと行動する間には幾ばくかの隔たりがある。

完璧に伝わってしまった場合にも、完璧に伝わらない事が分かってしまっても、文明は終わってしまう。「風の歌」を聴いて分かり合えるかもしれないという可能性への「試み」を維持し続ける限りにおいてのみ僕らは絶望から逃れられるのである。

2014年4月2日

はじまりの用意は、はじまりじゃないですからね。はじまりの用意ばかりしていると、はじまらないくせがついてしまいます。

ー糸井重里が『今日のダーリン』の中で

 意識が高くなるほど、「はじまりの用意」に時間をかけすぎてしまいがちになるという危機感がある。まずは始めてしまって、そこから次につなげればよい。「はじまらないくせ」に冒されてしまうと最後まで何もできなくなってしまう。

2014年4月9日

「ABCDE」の「C」が「わからない」ときに、「Cがわからない」と言うのと、「Cがないものとして進める」のでは組み立ての道筋がぜんぜん違いますからね。「そこはわからない」ってはっきりしてたら、そこを補ってつぎに進めたりします。「わからない」と言えるってことは、自分の弱さを言えるってことですよね。それがきちんと言えると、逆に、ほかの人の強さが頼りにできたりする。

ー糸井重里が『たどり着かない、ことば。』の中で

 文章の構成などを考えるときにツッコまれビリティを下げるために、「Cがないものとして進める」を選んでしまいがちなのだけど、これが後々になって致命的になってしまう可能性が出てくる。「私には」Cがわからないに過ぎない場合もあって、解決の糸口を自ら放棄してしまう事になるから気をつけたい。

2014年5月31日

信用されることは、とてもよいことだけれど、「信用されよう」としちゃぁいけない。つまり、自然にあなたがやっていることが、人に信用されているということなのだから、「信用されよう」としてやっていることは、ただの「中身のないカタチ」になっちゃうから。たぶん、人間は無意識でそう思ってて、「信用されよう」としている人の集めた「信用」と、「信用されよう」としてない人の得ている「信用」とを、嗅ぎ分けているのだろう。

ー糸井重里が『今日のダーリン』の中で

 「信用されよう」としてやっている事はクサくなってしまう事が多い。内心に忖度しても仕方がないからわざわざ言わないけれど、そのクサさが実際の行動よりも勝っていれば逆効果になる。それでも可愛い娘にクサい行動をされると僕の「利用価値」を認めてくれてるのかなって逆に嬉しくなってしまうのだけどね。

2014年7月12日

たいていのあなたは、「じぶん」を過大評価してます。他の人たちに見えているあなたの「じぶん」さんは、そこまでたいした人間ではないみたいですよ。そして、もうひとつ、前のことと逆なんですが、あなたは、その「じぶん」さんのことを、やや過小評価してしまうことも、よくありますね。みんなは、もうちょっと期待しているようですよ。

ー糸井重里が『今日のダーリン』の中で

 このブログでも何度も書いている通り、「殆んど期待していない」という事は「少しは期待している」という事である。0か100で捉えても仕方がない。

2014年8月25日

『ラーメン食べたい』は矢野顕子さんの作詞ですけど あの歌のすごいさは、ラーメンというものがひとりの象徴だからです。鍋とは対極にあるもので、ひとりきりで最初から最後まで食べる。あの歌にみんなが共感するのはみんながひとりぼっちになったことがあるからです。

ー糸井重里が『矢野顕子の音楽の稽古場』の中で

 確かにラーメンは「ひとり」の象徴である。その上で、身体的な過剰さによって心を擬似的に満たそうとする食べ物でもある。それでもラーメンに惹かれてしまうのは「ひとり」の瞬間をむしろ求めているからなのかもしれない。

「ラーメンヘル」なんていう言葉もあって、心が満たされない時にこそ「過剰さ」を内包したラーメンを食べたくなるという指摘については身に覚えがある。絶対に身体に悪いのだけど、ラーメンを食べる時には多かれ少なかれ自傷行為的な側面はある。

2014年9月17日

やっぱり、自立するっていうことは「全部一人でやっていく」ことと同義ではなくて、人の意見をちゃんと聞いたり、時には人の手を借りたりすることも大切になってきますからね。

ー永田純さんが『どんべいさんと…』の中で

 別人によるサポートがあってこそ出来る事は多々あるし、それが出来てこその自立である。全部ひとりでやろうとして失敗したり、唯我独尊になることは決して自立とは言えないと思う。もちろん他者依存の程度問題はあるのだけど、「誰の力も借りないで、腕一本で」となっている時は逆方向に進んでいると自戒する。

2014年10月3日

美味しい塩辛を「1回だけ」つくることは、そんなには難しくないんです。 でも、それを毎日毎日、同じように、安定的に製品化することがものすごく大変なことだったんです。 そのことに、「7年」かかりました。

ー大原富夫さんが『東北の仕事論。波座物産篇』の中で

 一回だけ出来た事を「平均」と思い込むと実情との大きなギャップができてしまう。ムラがある事を意識して計画を作らないと最初から無理ゲーになっていたりするし、ムラを減らすための努力のがトータルでは重要だったりする。

2014年10月18日

「小さく試せばいい」んですよね。大きくやるよりも、効率は悪いかもしれない。 たくさんの人に喜んでもらえないかもしれない。得られる利益も小ささに比例するでしょう。でも、小さくなら動けることがいっぱいあるんです。あらゆる物事は1人からはじまるし、1つから問いかけられます。そのことを「情けない」と思っちゃだめなんですよね。「小さい試み」のなかには、大きくなってからやるべきことの原型が見えるんです。

ー糸井重里が『今日のダーリン』の中で

 「試す」ための場を持つのって大切で、「ごっこ遊び」としての留保を持ちつつも、本当に出来るようなってくる事や、今後の課題が見えてくることが多い。単純に大きくするだけではダメな事も多いのだけど、要素要素には本物が混じってくる。

2014年11月20日

ぼく、目的やら夢があって進むっていうタイプじゃなくて、“そこはやだな”っていうので逃げるタイプなんです。で、「やだな」って逃げるときのダッシュ力が結構強いから、まるで次のスタートを元気よくしているかのように見えるんだと思う。

ー糸井重里が『元気でいよう。』の中で

 僕も大抵の事にはそこそこ満足してしまうので、自分が本当に動ける時には、「やだな」とか「面倒だな」という気持ちが動機にある事が多いのは事実。だから満たされるほどに静止してしまう。それが幸福なのかと言われると難しいのだけど、自分の動機がどこから生まれているのかを知る事が必要なのだろう。

まとめ

 他にもよい言葉がたくさんあって選ぶのに迷った。ワールドカップの開始日にサッカーの言葉か書かれていたりと、日々の文脈があるからこそ刺さる言葉もあるし、この機会に読み直した事で刺さった言葉もあって、改めて糸井重里の巧みさを感じたりもする。

 来年もほぼ日手帳と1年間を過ごすのだけど、来年はどんな言葉が刺さるのだろうか。毎日のほんのちょっとした楽しみにしていきたい。

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