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太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

必然性のアウトソーシングが不要なひとだけがレールを外れられる

a view of the table today

なりたくなかったオトナの生活も意外に快適

 ここ数ヶ月はWebライターとしても廃業状態だったし、ブログの更新も1ヶ月ぶり。何をしていたのかと考えれば、仕事・読書・飲酒となる。あまりに代わり映えがなくて、日記ブログの更新も疎か。

 それなりに楽しく本業に打ち込めているのは悪いことではないし、アウトプットを前提としない読書も、リラックスするための飲酒も同じこと。だけどなんていうか、それで良いんだっけ?と思うこともある。

 毎日毎日、日中はずっと仕事をしていて、帰宅するなりビールを呑みながら野球や映画を観ていた父親の姿に重なる。正直に言えば「なりたくないオトナの姿」だと思っていたのだけど、僕自身もあまり変わらない。労働時間が長くなったのと、テレビの代わりに漫画や小説を読んでいるぐらいか。なりたくなかったオトナの生活も意外に快適である。

レールに乗った人生とは

 レールに乗った人生といえばそうなのだろう。定期的に出てくる「レールに乗った人生は嫌だ」という話のわかり手にはなるけど、それは他人事だからだ。当事者性としてはフリーランス(=無職)の期間なんて合計数ヶ月もないし、新卒入社してから、どこかしらには所属していた。実際問題として資金繰りとか、営業とかのセンスが欠けているし、飽き性で怠け者なので「必然性のアウトソーシング」がないとなにもできなくなる。

 言われた事をやるのは嫌だ。決められた仕事をやるのは嫌だ。といえるのは、そこに必然性の提示があったからである。社会正義として正しいとか、仕事内容が楽しいかはさておいて、依頼された事をすれば報酬がもらえるという点においては正しい。

 それは一般的な起業やフリーランスもそうで、自分が供給できることと、それを需要する人がマッチングして商売は成り立つ。つまり「レールに乗った人生」とは、自分自身の意志よりも比較的需要が見込める職能や生産物を優先して供給するといった意味合いとなる。供給に先駆けて需要がある。

必然性のアウトソーシングが不要なひとだけがレールを外れられる

 だけど、比較的需要が見込める職能や生産物よりも優先すべき「自分のやりたいこと」を維持し続けるのはなかなか難しい。世の中には温泉型の人間と風呂型の人間がいて、風呂のように人為的なエネルギーの投下がないと心のお湯を沸かせない人のが多いのだけど、「大金が欲しい」「ちやほやされたい」といった抽象的な欲望は持続的なエネルギーに変換しにくい。

 これは「人格労働」と「感情労働」の違いだと僕は考えていて、傍目には同じことをしているように見えても維持するために使用される「人為的なエネルギー投下の有無」によって持続可能性や平均的な品質が全く異なるという事を経験しているのだけど、まさに「温泉」と「風呂」の違いでもある。

 温泉のように自然にお湯が沸かせるのであれば個別の方法論の問題になるのだけど、それが難しいなら他人の必然性を間借りする方が効率がよい。それを「主体性がない」と言うのは簡単だけど、1か100かの話ではないし、主体性があるから正しいというのもまた違う。必然性のアウトソーシングが不要なひとだけがレールを外れられるのだろう。

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