太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

そろそろ『情報学の情緒的な私試論β』のPV BEST OR WORSTランキングを公開してダムに沈めるとするか

photo by I_am_Allan

そろそろ総括しておくか

 『情報学の情緒的な私試論β』とは筆者( id:bulldra )が2013年7月~12月まで運営していたブログの事である。2014年1月~3月に母屋を借りたままで「普通の日記」を書き続けていたので明確な区分は難しいのだけど、『長文を書くのに飽きたのでしばらく充電します(フラグ) - 太陽がまぶしかったから』で最終更新を迎えた*1

 現在はこの零細ブログをやっているわけだけど、たまにブログ関係の人に会ったりすると、その頃の話になることが多い。確かに当時は連日はてなのトップページや増田などに登場していて異様な状態でありながら、それでも書きたい記事・読まれたい記事・読まれる記事は必ずしも一致しないからと、自身の具体的な手法やPVなどについては、あまり明示的に書いてこなかった。

 『hatenablog.com Site Overview』を元にしたランキングが公開されてしまったので、ハウツー記事を書いたりもしたのだけど、そこでも精神論で煙に巻こうとしていた痕跡が伺える。そもそもAlexaは大分偏っているらしいのでアテにならないと思うけど。

 現在は自分のペースで書きたいことしか書いてないし、『当ブログで配布していた「あわせて読みたいウィジット」がSEOスパムになっている可能性があるため差し替えをお願いします - 太陽がまぶしかったから』が解決しない限りは、アクセス数も何もない状態である。そもそもがコップの中の嵐だったのだけど、だからこそ個人的な体験としてのみ大きく残ってしまった感覚もある。「あの頃」が重い。

 当時とは状況が異なるので他の人の参考になるかは分からないけれど、何が読まれ/読まれなかったのかについての事実を明らかにしておきたい。壊れた配電盤をダムに沈めるためにも神秘性を剥ぎ取る必要があるのだ。本記事は『情報学の情緒的な私試論β』において書かれた記事において「どれだけ読まれたのか?」のみでソートした最高または最低のランキングであり、墓標である。

10位(13,305 PV)

 検索が強かった。KindleをMacで読むのは実際に捗るし、この時点でKindleのアンダーラインをウェブブラウザからコピペできる機能について日本語で紹介しているページは少なかった。未だに知らない人も多いと思われるが、非常に便利。電子書籍は有力なテーマのひとつである。

9位 (14,565 PV)

 資格試験攻略法。この手のビッグワードを押さえると試験のたびに多くの検索流入がある。それなりに有効なテクニックが載っているはず。ブログの本来的な存在価値は、何かに困って検索してきた人へ自分なりのハウツーを提示して他山の石になる事であろうと思う。

8位 (15,947 PV)

 この記事に限らないのだけど、オピニオン的な記事はBLOGOSの『http://blogos.com/blogger/bulldra/article/』にも載るので検索流入は期待できない。それでも何かの折に参照されたり、はてな村流行語大賞みたいな話にもノミネートされていた。詳細な調査や時事ネタではない素朴な話なのだけど、キャッチコピーが良かったのであろう。タイトルを26文字以上にするとGoogleで表示されるときに改変されてしまう可能性が高いが、瞬間瞬間のバズを狙うときには有効な時期があった。

7位 (16,168 PV)

 自分自身の体調不良のモデリングを自作自演で作成する記事。当時は図解記事も結構書いていた。少し前に『「本当に文字って必要ですか?」メディア出身の人気ブロガーが語る「今の時代に読ませる」ための全て #ブロフェス2014 | エアロプレイン』が話題になったけれど、はてなにも『コウモリの世界の図解』さんや『それ、僕が図解します。』さんなどがあって、図解で説明して欲しいというニーズは確実にあるのだろう。まだ文章で消耗しているの?

6位 (19,630 PV)

「老害」と呼ばれるコミュニケーション不調について書いたもの。鈍感力は鈍感力で大切なんだけど、フィードバック回路が壊れた状態で「別の権力」を持つとエントリに書いたような状態に陥ってしまうので自戒している。自薦するならこの記事かな。『BLOGOSにデビューしてサードイケダーに、なりませんか。 - 太陽がまぶしかったから』になったのも、この辺りの記事が評価されたものであると推測される。

5位(26,028 PV)

 『ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)』について、この頃は良くも悪くも楽観的だった。あまり手を動かさなくても副収入としては十分にもらえるようになっていたし、ライティングや広報の依頼なんかも来ていて、食費を賄うという意味での「ブログ飯」ならできる感じ。結果として意識的に瓦解させていったのだけど、「あちら側」の分岐について思いを馳せる事もあった。

4位(26,631 PV)

 一時期していたドヤ街暮らしをまとめたもの。初めて明確に狙っていった記事だったと思う。今となっては『はぴらき合理化幻想』さんのドヤ街情報のが断然詳しいし、当事者性がある。元ネタは id:sho_yamane さんの『フィリピンパブ徹底攻略マニュアルVer1.0 | ガジェット通信』で、この頃はブログ同士でコラボ的な大喜利をする流れが一部で流行っていたように思う。またノマドヤしたいね。

3位(27,335 PV)

 はてなブックマークはあまりされていないのだけど、Googleで上位に表示されていたため、情報処理技術者試験があるたびに検索流入があってアクセスを下支えしていた。増田改変ネタなので、申し訳ない感覚もある。情報セキュリティ技術者もそうだけど、資格試験は一定の需要があるし、広告という意味での価値も高い。

2位(30,139 PV)

 1位とは僅差。この仕打ちは未だに理不尽だと思っている。あくまで自分の心を整理するために書いた日記だったので、広く読まれる事を想定していなかった。これを機会に急激に認知されて、ブログに本腰を入れるキッカケになった。今ほどニュースキュレーションアプリがなかった時代の「30,000 PV/エントリ」というのはひとつの大きな壁であったと思う。

1位 (31,749 PV)

 はてなブックマーク数がすごかった。実はBLOGOSに載っているので、ほぼ初速だけで1位になっている。BLOGOSの方にも「いいね!」が1000個以上ついていた。「1000ブクマ」「1000いいね」というのはひとつの大きな壁で、それを超える事ができたのはすごく嬉しかったのだけど、それで燃え尽き症候群になってしまった側面もある。奇しくも『情報学の情緒的な私試論β』の初めと終わりが1位と2位になっているのは感慨深い。

WORST 1位(214 PV)

 現存するエントリの中で最も読まれていない。タイミングだとか飽きられはじめたとか理由は色々と考えられるが、日常雑感系は検索に弱いので初速が付かない限りは埋もれてしまう傾向にある。大半は自分で読んだものだろう。過去にはエントリを増やせばアクセスが増えるという戦略が有効だったのだけど、現在はパンダ・アップデートもあるし、成立しにくい。それは決して日常雑感に価値がないと言いたいのではなく「アクセスアップのために日常雑感の埋草を書き続ける」のは悪手だということだ。

 今でも自分の中では10位ぐらいに好きな文章なのだけど、書きたい記事・読まれたい記事・読まれる記事は必ずしも一致しないと実感させられる。そして、たまたま多く読まれているような記事だってポテンシャルは同程度に見えるし、なんだか虚しくなってくることもある。少なくとも1%の価値や意味合いしかないなんてことはないと信じたい。他人がどうこうというのは少ないのだけど、自分の書いた文章同士の格差については気になってしまう。

絶対値で参照すること

 絶対値として多いのか少ないのかは実のところ良く分からない。しかし、どれだけ意識的になっても「数字」に見えてしまいかねない範囲でもあった。「ダンバー数」によれば、人は150人程度としか親密にはなれないというが、確かに綺麗事を言うのは難しくもある。

 その一方でソーシャルメディア等で話題になれば10万PV/エントリになったり、ビッグワードを抑えて月間5万PV/エントリといった記事が日常化している人々もいるのだろう。BLOGOSでのアクセスを足せば倍になるのかもしれないが、それでも絶対値としては泡沫である。『暇だからイケダハヤト氏にブログのダメ出しをされてきた - 太陽がまぶしかったから』においても、まさに井の中の蛙であった。

 増田などで目立っていたのがブログ論の話であったからか「ブログ論ブログ」とすら呼ばれていたが、ブログの話題なんて、絶対値での指標においては、登場人物にすら入ってこないのが実態である。ブログ自体についての情報を気にする人が数千人ほどいるが、それ以上に広がっていく可能性は極めて低い。それでも語りたくなってしまうのは、目に見える反応がもらいやすく、PDCAを安全に公開しやすかったからなのだと思う。

 仕事や人間関係などの本質的な問題を公開で明示的に書いたり、議論していくのは無理があるから、ブログで活発に語られるのは重要度ランキング14位ぐらいの話になりやすい*2。パーキンソンの凡俗法則。でも、だからこそ釣りであれ、麻雀であれ、中級者になりたてぐらいの人々が大袈裟に語り始める事について寛容でありたいし、僕自身も語りたい。

緩慢にダムに沈めていく

 正直なことを言えば、はてなブログの脱会を視野にいれて、レンタルサーバーに『WordPress › 日本語』をインストールしたり、設定作業などをしていた事もある。このブログをダムに沈めるつもりであったのだ。ブログの内容が賛否両論で燃えるのは歓迎だけど、ブログの外側の話ばかりに巻き込まれてうんざりしていたし、「文章」そのものではなく「関係性」「人間性」「露出方法」「スキャンダル」みたいなものがコンテンツの中心になってしまう環境にいても仕方がないと考えた。

 Googleからのペナルティや『記事データをエクスポートできるようにしました。ブログのバックアップ等にご利用ください - はてなブログ開発ブログ』など「リセット」の条件もタイミングよく揃った。だけど、それでどうなるものでもないし、中途半端なリニューアルを繰り返しながら生き恥を継続的に晒していくのだろう。「太陽の西」を目指しては戻ってくる。

 村上春樹の『国境の南、太陽の西 (講談社文庫)』には主人公の経営するジャズバーに対して、「空中庭園」のメタファがある。つまり人は精妙にメンテナンスされた架空の風景に自身を取り込むためにこそ店に来るし、空中庭園は飽きられないように変化し続ける必要があるという述懐。これはそのまま小説にも通づる事で、村上春樹自身の小説論のようなものであると読み解く事もできる。

 その上で本書には「ヒステリア・シベリアナ」の話が出てくる。シベリアの農夫は毎日、太陽が東からでて、西に沈むまで畑を耕し続けていると、いつか自分の中の何かが死んでしまい、太陽の西を目指して歩き続けることになる。恐らく実在の病気ではないのだろうけど、話としては分かる。

 毎日のメンテナンスの結果として、空中庭園は適切にリニューアルされていくものの、それをする人間の中身は磨耗していき、全てを投げ出して蛮勇に走る衝動に蝕まれていく。「太陽の西を目指す」のは「挑戦」であるが、その一方ではアイロニカルなメタ視線ともセットになっていて実態的な逃走を内包している。出来もしない事を出来ると言うのは、いつだって挑戦と逃走が重ねあっている凡庸な過程だ。

 破壊的イノベーションを繰り返すほどに、持続的イノベーションによるディテール追求に鈍感になるし、劇的な断絶があるほどに不当に美化された偽記憶と現状との差分で消耗させられる可能性が高まる。『特殊性を獲得しようと試みるほど「いつか救われるのだから、今は辛くてもよい」という「いま」「ここ」の疎外となる - 太陽がまぶしかったから』からこそ、劇的に沈めて自己神話化がなされてしまっては本末転倒なのである。・・・などと本質的には無意味な内容を大袈裟に語るのを辞めて神秘性を剥ぎ取っていくことでダムに沈める事ができるのだろう。自己幻想は、劇的に殺すのではなく、緩慢に殺す必要があるのだ。

1973年のピンボール (講談社文庫)

1973年のピンボール (講談社文庫)