太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

クリス・アンダーソン『フリー ―<無料>からお金を生みだす新戦略 』〜「情報はフリーになるべきだ」から「情報はフリーになりたがる」への変遷にみるモノの式神化

フリー ―<無料>からお金を生みだす新戦略

「情報はフリーになりたがる」の歴史

 「情報はフリーになりたがる」という言葉を聞く機会が増えた。インターネットに限らず、情報を引き出すためのコストは下がり続け、提供者の側も無料であることを前提としている人が多いです。『フリー 〈無料〉からお金を生みだす新戦略』では「情報はフリーになりたがる」という言葉が発生した経緯を以下のように説明する。

  • 1984年にスティーブン・レビーが『ハッカーズ』を出版し、「すべての情報はフリーになるべきだ。」の文言を含む「ハッカー倫理」七ヶ条を紹介。
  • それが『ホール・アース・カタログ』の創刊者スチュアート・ブランドの目に止まる。
  • スチュアート・ブランドはケヴィン・ケリーとともにハッカーを一堂に集める会合を開き、以下のように話す

 一方で、情報は高価になりたがる。なぜなら貴重だからだ。正しいところに正しい情報があれば、私たちの人生さえ変わりうるのだ。他方で、情報はフリーになりたがる。なぜなら情報を引き出すコストは下がりつづけているからだ。今はこのふたつの流れがせめぎ合っているのだ。

 この発言には、情報通信技術の発展には二つの側面があるという事を表している。つまり「コンピュータの演算能力が上がり、通信技術によって入力可能な情報が膨大になるほど、価値の高い情報が生まれる」その一方で「その情報が複製され、伝搬するためコストは下がる」ということ。この話のうち、「高価になりたがる」の部分が他者の口に登るうちに欠落して、「情報はフリーになりたがる」という言葉がミームとして残ったのだそうだ。

「情報はフリーになりたがる」「情報はフリーになるべきだ」

 この説明にもある通り、「ハッカー倫理」七ヶ条の時点では「情報はフリーになるべきだ」という言葉でしたが、これを「情報はフリーになりたがる」に言い換える事によってミームとしての強度を手に入れることができた。

 「情報」を擬人化する事によって、発言者の政治的スタンスとの心的結合を解除し、単なる自然の摂理であるかのように示すことで、自然と受け入れやすくなる。発言者の政治的スタンスを受け入れるという事は、賛同・反対に関わらず「私の政治的スタンス」の改変が発生しえる感覚があるために、直感的な抵抗感が先立って発生してしまうが、「現象」であれば受け入れるしかないと思ってしまいがちな心理がある。

 これは第三者やペットや宗教などに対しても同じように使われている。「私がそうすべきだ」と思っていることについて、「あの子がそうしたいと思っているから」を理由にする。そこにまつわる諸問題はたくさんあるのだけど、構造としては「意志力の外部化」による共有です。

 私と貴方の主張は衝突する可能性がありますが、「わたしたち」と「現象」の三角形になることで衝突を回避する事ができる。もちろん、「思っている」ことについての意見衝突も起こりえるので、ある種の情報非対称性が前提となる。

モノの式神

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 「片付ける」ではなく「モノの定位置を決める」と表現していますが、これは「モノは定位置に戻りたがる」という擬人化ファンタジーを付与するためのものです。式神のようだ。

 「モノは定位置に戻りたがる」を信じた時に、それを物理的に動かしているのは確かに私達ではあるが、そこに都度の判断が介在しないでオートマチックに物事が進む強度が発生する。「散らかっているから、戻さないとなー」という義務感からの行動を達成してしまうと、いちいち良い事をした気分になって「今日は頑張ったからビールを2本呑んでしまおう」といった見返りを求めてしまう。

 このような判断をいちいちしていると「自分へのご褒美」をしたくなるトリガーが増えてしまい、実際的な成果に較べて、「自分へのご褒美」に使われるコストが跳ね上がる傾向にあるため、出来るかぎり「現象」として捉える事が有効なのだ。

他者の式神化と互酬の錯誤

 政治的スタンスへの同調を求められるのであれば、それを求めた相手に互酬を求めたくなるのは当然ですが、対峙している相手にまで、第三者と同じような「現象」と捉える傾向が強いと錯誤をしてしまいやすい。

 第三者が「こう思っているから」を使う癖がついてしまうと「あなたがこう思っているから」を使ってしまいがちだが、そこには「そうでもないけど」という可能性を孕む。それでいて、ファンタジー内に収まらず、「あなたがこう思っているから、私はこうするんだよ」という形で互酬を求められて二重の理不尽を感じる。

 つまり相手の立場としては「こう思わないといけない」という同調をさせられながら、恩着せがましくされて、気持ち悪くなってしまう。それなら「あなたは、こうあるべきだ」だと言ってもらった方が幾分かマシだ。

意志力の外部化と、他者のキャラクター消費

 「現象」と捉えることで発生する意志力の外部化は、自身では取りたててやりたい事がないけれど、何かをするためのリソースが余っている人々にとって楽な形式である。しかし、本当に意志がないモノへのファンタジーなのか、明確に意志ががあるけど認知しにくい人や動物に対して、そのような事をしてしまっているのかは意識した方がよい。

 現代社会では他者をキャラクターとして消費する傾向が強くなったと言われてますが、「キャラ化」は他者を「現象」として、その行動原理をパーマネントに捉えてしまう傾向に拍車をかける。しかしながら、人々の函数は日々更新されていくし、把握しきれない量の変数更新も行われている。少なくとも私は「太陽がまぶしかったから」と不合理と非一貫性を主張し続けていきたい。