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太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

「あわせて読みたいG」公開1周年で明かされる「G」の意味

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「あわせて読みたいG」が1周年

 「あわせて読みたいG」を公開してから1年以上が経過していた。もともとは自分用に作ったものではあるのだけど、ありがたいことにはてなブログ内における利用者が500人程度はいると思われる。ちゃんと数えたことはないけれど。

 このツールは「直帰率を下げてPVを上げる」という目的に利用されることが多いが、本当に活用すべきなのはブロガー自身なのだと思う。この機能は本来「過去記事カード10連ガチャてらくごのご」をするために作られたものであり、「あわせて読みたいG」の「G」は「ガチャ」の略である。「グレート」ではない。

もう一度、過去記事ガチャでらくごのご

 「らくごのご」とは、桂ざこばと笑福亭鶴瓶が客席から出されたお題候補から3つのお題を決めて即興落語を披露するコーナーがある番組で、例えば第1回では「 過労死・つくし・小錦の脂肪」を使っての即興落語が披露されています。

 要するに言えば、かつて自分が書いた過去の記事を組み合わせながら、現在の視点を加えて再構成する。梅棹忠夫などが情報カードでやっていたようなことをブログでもやろうという話だ。id:aniram-czech さんによる『ブログであそぼう:『女は女である』のはなし - (チェコ好き)の日記』という実例もある。

インプットの「一部」になるブログ

 よく、「ブログはアウトプットだ」「ブログのネタが切れる」という言葉を耳にします。

 そうでしょうか?ブログとはアウトプットであるとともにインプットであるべきでしょう。少なくともそういうブログライフはあり得ます。

 id:p_shirokuma 先生の通り、よく知らないことについて、その時点での手触りや思いつきや感傷を書いておくことは、次に繋がる可能性も高い。今回の「あわせて読みたい」だって、複数の事象が絡みあって現在のカタチになっている。最初から作ることはできなかったし、周りや自分自身からのフィードバックありきで出てきたものだ。

 ここで重要なのはインプットの「一部」であること。過去記事だけに頼ってはいけないし、他のネット情報だけでもだめだ。あくまで外側から取り入れたものと、過去の材料を掛け合わせることで生まれてくるものがあるのだと思う。アウトプット先だってブログに限る必要はない。もちろん、ブログを終着点にしてもよいとは思うのだけど、仕事や生活の充実に向けたい。ブログを充実させるためのライフハックをブログで書くほど虚しいものはない。

 ウィトゲンシュタインは『論理哲学論考』の最後に「梯子」について述べている。つまり梯子は上りきったら放り投げなければいけないのだけど、放り投げるから無駄なのではない。

 「巨人の肩」でも、「踏み台」でもよいのだけど、もう一段階先に進むための鍵は過去の自分自身が持っていることもある。登った後には不要になる思考の断片も、登るためには必要だ。計画的偶発性によってセレディピティを鍛えることは、その時点では思いもよらなかった活用方法を見出すことに繋がるかのもしれない。「あわせて読みたいG」が一周年を超えてたって、「あわせて読みたいG」に教えられたように。

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