太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

10年来のネット自虐に疲れたから仕事とお金と愛の匂いをさせたい

photo by Daveography.ca

社畜非モテ貧乏キャラの行き着く先

 ネット上のキャラとして社畜非モテ貧乏という設定を10年近く続けていると、自虐するのが当たり前のお作法になってしまうのが厳しい。現実問題として有能じゃないし、モテないし、お金持ちでもないのだけど、ものすごくマイナスかと言えばそうでもない。30代の中の下だろう。多分。

 2005年以降の非モテ論壇でアクティブに活動していた人の半数近くには現役で彼女がいたというし、2012年前後には結婚報告もよく聞いた。だけどネット上では恋愛関係の過程を隠すのが当たり前だったし、結婚報告や子供の話をしれっとするぐらいが関の山だった。ノイジーマイノリティの免罪符として「当事者性」が重要視されすぎていた側面があるし、同調圧力からの逸脱や嫉妬を過剰に恐れていた。

 一銭にもならなければ、現実を変えることにも繋がらなければ、出会いなんてもってのほか。そんな「穢れ」からは無縁な議論のための議論だけが尊いものとされていたように思う。リアルの近況を伝え聞きながらも、すこしでもネット上にそういう匂いを漏らすとフルボッコにしてもよいという文化の痕跡は未だに残っている。声優でもないのに。

ネット自虐のジレンマとネット自慢

さっきも言ったとおり…モテないことを嘆いたり自慢したとき、人の未来は強制的にたった2つの道に限定される!
すなわち…発言通り一生孤独に過ごすか
さんざん自虐しておきながらちゃっかり幸せになる
最悪の嘘つきクソ野郎になるどちらか一方に!

 だけど、非モテや稼げないこと自虐していると、本当にそうなるか、嘘つきクソ野郎になるかの二択になってしまう。その手のことを一切口に出さなければ「言葉足らずは嘘つきではない」の法則がなりたつのだけど、予防線として余計な自虐を書いたり、そのとおりに振る舞う癖がついている。謙虚だからではなく、単に面倒だからだ。

 このブログの当初のキャッチコピーは「仕事かお金か愛をください」であり、「はてな村にそんなものはない」とツッコまれるまでがルーチンだった。でも、現在となっては「オウンドメディアに寄稿しました!」「今月のPVは◯◯万!収益は◯円」「(検閲削除)」みたいな話が色々なブログに書かれている。

 はてな村には仕事もお金も愛もありまぁす。当初は匂わせるのすらNGだった物事が跋扈しているはてなブログニュータウンの現状を居心地悪く感じる一方、そんな環境下ですら自縄自縛の自虐を続けてしまう自分はなんなんだろうな。このブログにも仕事とお金と愛の匂いをさせたい……って匂いの元がないか←()。

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