太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

2015年の僕は「逆にモテる」を行動基準にします〜水野敬也『LOVE理論』

2015年の池田仮名は「逆にモテる」を行動基準にしていきます

 今年のクリスマスもチキン(焼き鳥)男子会ですごしてしまい、そろそろなんとかしたいからここに宣言する。来年は名義上だけでなく、事実上の事も頑張りたい。タイトルのような宣言を行う事は本書において「デビュー理論」として提示されている。

 結局のところで僕の自由意志を殺すのは「周囲の視線」である。急に服装に気を使うようになったとバカにされたり、呑み会に誘っただけで口説かれたと吹聴されたり、周りにやいのやいの言われて、すぐに「やれやれ」に戻ってしまう。これらの視線の源泉は、「普段は隠してるけどさもありなん」という中途半端なギャップにある。

 そういう意味では、はてな女子が最初から「婚活してます!」と宣言しているのは非常に潔い。そりゃ僕だってモテたいですよ。口説きますよ。それが何か?……これを書いた時点で「池田仮名」としてモテるのは無理になってしまうけれど、それでも宣言をしておく必要はある。「やれやれ」を口癖にしながら、「最初から本気じゃなかった」とやり過ごして良いのは29歳までである。羊をめぐる冒険は終わったのだ。

あなたにモテるためには100人にモテる必要があるのだ

 リアルになるほど塩対応だし、「名義上」みたいな話を出したりして「モテる気ないでしょ?」と言われて「やれやれ」と答えがちではあった。それは半分正しいのだけど、僕が好きになった人にだけモテたいなんて話は高望みもいい所であったとも思う。一度仕分けられた「フォルダ」を変更するのは難しいのだから、皆の男子仕分け会議において「彼氏候補になる」程度の位置にいられるように少しづつでも努力すべきなのだなと。それはきっと余裕にも繋がる。

 でも、そのように自分の姿勢が「変わっていく」という事自体が男や既に「ナシ」「トモダチ」フォルダに入れた女子達から痛々しく見えるのは重々承知であって、それを揶揄されると泣いちゃうので、生暖かい目で見守って頂きたい。というか、良いイメージを守ろうとするほどに悪くなるのが世の常だし、「そういう人」だと認識されてた方が下がる余地が少なくなる分だけ逆に気楽である。

「逆に」理論

 先の「逆に気楽」における「逆に」は様々な状況を救ってくれる魔法のことばである。

水野敬也さんのスパルタ婚活塾にも書いてあったので、「わたしと似たようなこと言ってる!さすが!」と自画自賛したんですけど、ウワーこれきっついわという場面に追い込まれた時、こう呟くだけで、かなり前向きさがキープできます。

「逆に、面白い」

 他にも「それって大変だよね」みたいな形の共感に加えて、一見して大変そうではない事についても「でも逆に大変じゃない?」と聞くことで、普段は顧みられにくかった部分に気づいて愚痴ってもらえたりして、より深いコミュニケーションが出来るとのこと。何度も「参考になる」タグを付けてブクマしたい。

 それに限らず、「逆に」で茶化して気まずさを回避したり、本気の話に転換してしまう事もできる。それなりに齢を重ねた独身者同士の話なんて半実在半非実在の重ね合わせ状態にあるなかで偶然的に決定される・・・と村上春樹の小説とかに書いている。物理的な現実なんてそう簡単には変わらないのだから、互いの共通認識の流れを変えるためには幾つかのトリガーが必要となるのだ。

様々なLOVE理論とマニュアルの弊害

 「逆に」にだけではなく、『LOVE理論』には様々な理論がある。あるあるネタから、ガッテンネタ、首をかしげたくなるネタまで様々。こういう理論の羅列を見ると『面接の達人2016 バイブル版 (MENTATSU)』を思い出して懐かしくなったりもする。この本は就職活動の面接対策マニュアルとして大ヒットした本なのだけど、大ヒットしすぎた僕の時代には「逆に、メンタツに載っていない事を言う」がマニュアルになっていたぐらいである。僕だって「逆に大変でしょ?」が使いづらくなってしまった。

 「恋愛マニュアル本を守る男子はダサい」みたいな話もあって、「今のはマニュアルの通りやったでしょ?」という視線が共有化されてしまうと気まずいし、こちらも非常に気恥ずかしくなる。だけど、僕が勝手に考えた事なんて、やっぱりダメなパターンにしかならなくて、グラスを空にしてやれやれと席を立つしかなくなる。「個性」と「奇抜」は違うのである。

マニュアル通りが逆に嬉しい事もあるのではないか

 だけど、これには、2つの救いがあるのではないか。

  • そもそも『LOVE理論』を読んでいない人のが多い
  • マニュアル通りのが「逆に嬉しい」というパターンもある

 イケダハヤト氏が「僕がいくら炎上したって、街の誰も気付かない」みたいな事を書いていて、その実感はリアルである。「界隈」においての認知度合いを日本全国に敷衍する事は出来ない。はてなブロガー内で5人に1人が知ってるような事件だって現実世界に出たら1000人にひとりとか、そんなレベルだろうし、「知っている」と「興味がある」の谷も深い。だからまあ、確率論的にいって奇抜な事をしない方がマシな可能性が高いのだろう。

 もうひとつ個人的に実感している事があって、「あざとい」というレベルの所作をされる方が、「あざとい」と分るからこそ余計に嬉しくなる事もあるという事である。こちとら少女漫画脳である。

 女子目線からしても、奇を衒われるよりも、ド定番なコースでお姫様扱いされる方が逆に新鮮で嬉しい人もいるんじゃないかと思ったりもする。距離感を間違えたサプライズは禁物という事はこの本でも語られている。もちろん全員がそうだとは思わないし、必要なのは相手の欲望とプライドの中間点をしっかりと観察する事だろう。

逆の逆は王道

 僕はもう斜に構えて逆ばかりを狙い続ける事にも疲れてしまった。なんでサブカルクソ野郎は自ら高難度な方法に突っ込んでいって普通の道筋を疎外するのか問題である。

 ルーティンに対するPDCAを回すとか、なるべく違うものを食べようとか、違う道を歩いて帰ろうとか。そんな時に「すでに他人がやったことだから、僕がやる必要はない」という自意識が邪魔になることがある。

 社畜乙、恋愛資本主義粉砕、マイルドヤンキー(笑)みたいな事を考えるほど、その呪詛は自分に跳ね返ってくる。マジョリティにはマジョリティになるだけの理由があって、コモデティ化したマイノリティを敢えて選ぶことをアイデンティティにしてはいけない。

 2014年を終えようとしている僕の自意識はこじれすぎてしまって、僕自身ですらよく分からない事になってしまった。だからこそ2015年の池田仮名は「逆にモテる」を基準に、弱くてニューゲームを続ける無限ループを脱して「普通の幸せ」を探りたいと思うのだ。「逆の逆は王道」なのだから。

LOVE理論

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