太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

ブログやミニ四駆は大切でないから破滅的になれるが、破滅的になれる限りにおいては大切である

ブログ改造はミニ四駆の改造に似ている

 ここ2ヶ月ぐらい余暇のたびにブログの改造をし続けていて、なんだか破滅的な方向に進んでいる気がするのだけど、ミニ四駆を破滅的に改造するのが好きだった事を思い出した。ブログエンジンの大枠が決まっている中でも処理を横取りして、砂場の中を「出来る限り」で自分の思うようにしていく感覚。

 ミニ四駆では違法モーター、中空シャフト、スポンジタイヤ、ボールベアリングなどのカスタマイズパーツはもとより、「肉抜き」と言われるボディやシャーシに穴を開けて行う軽量化が破滅的な改造として存在していた。多少は軽くなるものの、脆くなったボディは容赦なく壊れてしまうし、剛性が狂って遅くなる事もある。それでも限界まで削り取る事に価値を感じていた。

ミニ四駆程度のこと

 改造に限らず「ミニ四駆」が僕自身のブログに対するスタンスなのかもしれない。本物の自動車や高価なラジコンであれば、絶対にやらないような事を試しているし、自己満足や思い込みを逆説的に重視しているところがある。以下も肉抜きをしすぎて儚く壊れたミニ四駆を連想する。

 それでも独自理論を妄想したり、瞬間接着剤でくっつけたり、調整をする過程が楽しい。自動車で事故ったのならそんな悠長な事を言っていられないし、その改造を自動車に応用しようなんて思わない。ミニ四駆と自動車の対決を頼まれても困まるのだ。

ブログのためにブログ書いている

 ところで「ブログのためにブログを書いている」という話題があって、それ自体は「唐突な時事ネタ→こんなにバズりました記事」のコンボだったのだけど、短期間に数値をあげる事を主目的にしたゲームと捉えているのであれば、どんな手を使うのにも躊躇がないのはわかる。むしろ「効率のよい攻略方法」なのだろう。自己言及は自己言及に過ぎないと教えてくれるのも「ブログ=ログの羅列」の価値だ。

 だからそれ自体を批判する気はあまりなくて「ブログのためにブログを書いている」のは僕も同じである。このブログで生活なんて不可能だし、ライターなどの仕事を継続的に請けるような事もないわけで、そのための挟持もあまりない。でも、だからこそ好き勝手に数字あそびに没頭したり、破滅的な事ができるのが楽しくもある。きっと時事ネタを書いたってよかったのだけど、僕自身が好みじゃないからしなかっただけである。

「大切じゃない」から「大切」

 ブログやミニ四駆は大切じゃないから破滅的になれるのだけど、破滅的になれる限りにおいて大切である。その「大切さ」は刹那的なものだし、他者から見たら歪に見もえるだろう。ブログを使って生活をしているのであれば、本気で解消しようとするかもしれないが、訂正するつもりもない。その態度設定を含めてガチ勢や本当に大切にしている人達が不快になるのもよくわかるけど。

 でも、だからこそ、みんな違ってみんな良いなんていう正論で沈黙を維持しても仕方がなくて、論理手斧を投げ合える。ブロゴスフィアも手斧によって実存を賭けずに安全に痛く破滅したりさせたりできるかぎりにおいて大切な存在である。はてな村にも、かつて「サードブロガー論争」というものがあってだな。

破滅の美学 ヤクザ映画への鎮魂曲

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