太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

ロバート・A・ハインライン『夏への扉』〜過去へのコントロール不可能性を超えて

夏への扉〔新版〕 (ハヤカワ文庫SF)

夏への扉』を読んだ

 『夏への扉』は1957年にロバート・A・ハインラインによって書かれたSF小説の古典であり、日本での人気が非常に高い。その一方で、評論家や海外での評価はそれほど高くないというギャップがある事までは知っていた。

hatena内でオススメのSFをリストアップするのが流行だ。
ホコリの被った旧作(「古典」ではない)ばかり挙げられていて本当に辟易する。
SFはアイデアの新奇性、センス・オブ・ワンダーが重要なのであって、今さらヴェルヌやウェルズを読んだところで、価値はない(ギブスンやディックも同様)。
そしてこういう「オススメSF」の話題になると必ず出てくるので『夏への扉』を薦めてくるやつだ。
はっきり言えるが『夏への扉』を薦めるやつは見る目がなく、センスに欠けていて、信用できないってことだ。

 僕自身は、これまでSF作品を読む機会がほとんどなくて、ロバート・A・ハインラインの小説を読むのも『スターシップ・トゥルーパーズ』の原作となった『宇宙の戦士』を読んだ大学生以来となる。

 そもそもは『インターステラ―』について書こうしていたのだけど、『夏への扉〔新版〕 (ハヤカワ文庫SF)』との思想的な類似性の話になったので、先に読んでおこうと思ったのだ。

1957年から見た1970年代と2000年代

 舞台は1970年代。この時点で「ロボット」「CAD」「コールドスリープ」などが実用化され始めている描写がある。コールドスリープで到達する2000年代はもっとすごい。それでも、SF小説は未来予測の精度を持ってして価値を測るのではないし、1957年から見た「未来はもっと良くなる」という楽観的な期待にちょっと胸が熱くなる。コールドスリープと保険が結びついているというのは面白い着想。まさに「気絶投資法」である。

 もう現実の世界は2015年で、エヴァンゲリオンが実現できていないとおかしいのだけど、思ったよりも普通だと思える分野もあれば、飛躍的に発展を遂げた分野もある。ジッパーや新聞は実用的なままだし、車は空を飛んでいない。だけど、小さな箱ひとつであらゆる処理や通信ができるようなるなんてことが本当に実現できるとは思えなかっただろう。それを使って140字の諍いを起こしている事も。

冷凍睡眠と相対性理論と時間旅行

 冷凍睡眠と相対性理論と時間旅行の効用は、もともと近しい所にある。冷凍睡眠は身体に蓄積する時間を最小限にし、相対性理論では流れる時間にズレを生じさせ、時間旅行では時間を跳躍する。最大の違いは「過去に干渉できるか?」ではあるのだけど、「未来に行く」についてはある程度までの実現性があるようにも思える。

 ただ、できるからといってやってしまうと、人口爆発はどうするのか?とか、異なる常識や技術を持った「異邦人」として肩身の狭い生活を強いられるといった問題がでてくる。復活できる保障もないし、会社が倒産しているかもしれない。「過去に行ける」に関する倫理的な問題はもっと大きい。物語内では良くも悪くもご都合主義的な展開が重なってハッピーエンドになるのだけど、倫理的な問題が山積みである事も意識させられる。「できること」と「していいこと」は異なる。

コントロール不可能性を超えて

 愛猫のピートは雪が降ると「夏への扉」を信じて窓を開けて回らせるという序盤のシーン。もちろん、天気管理の技術なんてないのだけど、どれかは夏に通じているのではないかと動き回り、天気の管理ができていない事を責める様は「選択肢」や過去という「コントロール不可能性」を暗示しているのではないか。

 彼は、その人間用のドアの、少なくともどれかひとつが、夏に通じているという固い信念を持っていたのである。これは、彼がこの欲求を起こすたびに、ぼくが十一ヶ所のドアをひとつずつ彼についてまわって、彼が納得するまでドアをあけておき、さらに次のドアを試みるという巡礼の旅を続けなければないらない事を意味する。そしてひとつ失望の重なるごとに、彼は僕の天気管理の不手際さに喉を鳴らすのだった。

 人は歳を重ねるごとに、どの選択肢でも結果は一定の範囲に収まるし、外部要因はコントロールできないという宿命論を受け入れながら最小限の工程を選ぶことを学習しがちである。だけど「本当にそうか?」と疑って動き回ることそのものに人生の意味があったりもする。

 「一定の範囲」は少しづつだけ広げられるし、少なくとも「過去をどう思うか?」は変えられる。そういう小さな変化が蓄積していった遠い未来の「一定の範囲」には、過去に干渉可能な5次元空間が含まれるのかもしれない。

 絶対に嘘つきにならないように最初から何もしないのは、「嘘つき」ではないけど、もっと大切な何かを見落としているのだという反省がある。結果として嘘つきになってしまう可能性を内心では認識していてもなお「夏への扉」を開けるための試行錯誤を意識したいなんて事を思った。