太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

太陽がまぶしかったから書いた創作こじらせ日記の自選集2014年版

photo by benleto

創作こじらせ日記まとめ

 実際に起こっているネガティブな出来事はブログに書きにくいし、丁寧に解説しても仕方がないので創作日記として断片的に提示する事がある。

 完全にシニカルなだけの厨二病を発揮していて恥ずかしいのだけど、こういう文章をさらっと書いていきたいという感覚もある。そんなわけで、「ブログで2014年を振り返る」ひとりアドベントカレンダー20日目は「創作こじらせ日記」について語りたい

デカダンス・ワンダーランド

 僕にとっての「欲望とプライドの中間点のようなもの」はなんなのだろう。何かが抜け落ちているような居心地の悪さを感じて「戻れない楔」を打ち込めずにいる。そんな事を続けているうち物理世界では凡庸を極めたように暮らし、論理世界においてデカダンス・ワンダーランドに暮らす二重生活を営むようになった。

 『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 上巻 (新潮文庫 む 5-4)』より。物理上は普通の生活をしながら、頭の中だけで頽廃的なワンダーランドを構築しようと足掻く。「健全な肉体にこそ狂気が宿る」というテーゼを実現しようとするのにボロボロになっていく身体との付き合い方を考えるようになっていた。

ウータン・クランはファンタジーを生きている

 僕は「いつか」「どこか」を勝手に切り替える。どれだけ最悪でも耐えられてしまうのは果たして幸福なのだろうか。僕はハルケギニアに召喚されるのを待っているわけでない。ここは既に四畳半のハルケギニアなのである。ハロー今君に素晴らしい世界が見えますか。

 週末なのに、緊急で遠くに出張させられて、クソみたいな作業を割り振られて、約束をキャンセルしたら連絡付かなくなって、体調崩してみたいな状態でも、「それはそれで仕方ない」と思わざるを得なかった頃。

「ウータン・クランはちょっとファンタジーの世界に生きてんだよね。仲間内でここは少林寺なって設定作って、勝手にいい感じの世界に転換して生きてんの。本当の日常はクソなのに、自分たちはその脳内設定で世界を見てるから、どれだけ最悪でも耐えられるっていう」

ここは退屈迎えに来て

ここは退屈迎えに来て

 どんなにクソな現実に対しても強固なファンタジーを作ることで自分で自分を騙す事もできるけれど、この手の事を常用していると本当に双極性障害になってしまうし、現実が変えられなくなるという危機感も感じた。終末医療と根治治療は違う。それでもペインクリニック(痛みの緩和)が根治を適切に行う前段階に必要な事もある。

期間限定で壊れるかもしれない梯子

 ウィトゲンシュタインは『論理哲学論考』の最後に「梯子」について述べている。つまり梯子は上りきったら放り投げなければいけないのだけど、放り投げるから無駄なのではない。互いが互いにとっての梯子になれば、どちらかが最終的には放り投げる結末の可能性があったとしてもマシにするための「試み」ができるのだろう。たとえ期間限定で壊れそうなゆがんだはしごであっても。

 失敗する可能性が高そうな仕事なら最初から関わらないでおこうとか、結婚までを視野に入れたら付き合っても難しいだろうとかいう理由で逃げまわっていたら、いつまでたっても「何もしないことで全能感を維持する人」になってしまうなーって思っていた頃。自分でも意識高いのかクズなのかわからん。

氷菓経済

 それでも「わたし、気になります!」と割り込んでくる存在がいれば、レンジフードの汚れが気になるように急激に優先順位が変わってしまう。もちろん「評価」を求めている部分もあるが、唐突に湧き上がってきた「気持ち悪さの解消」のようなものだ。

 彼女が欲しいのは「問題解決」ではなくて「共感」であることぐらいは理解している。それでも僕を突き動かすのは「この不条理は不条理のままにすべきではない」という動機の理不尽な発生。このようにして発展するのが「評価経済」ではなく「氷菓経済」とも言うべきものである。アイ・スクリーム。ラウドマイノリティの勝利の鐘が鳴る。

 僕は結局のところで自分ひとりの事であれば、それらしいファンタジーの世界に逃げ込めてしまうのではないかとも思っていて、だからこそ「わたし、気になります!」と割り込んできてくれる他者によって「優先順位」の問題が他者駆動で解決するのではないかという話。

 ここでいう「恋」とは「劇的な回心」であり、つまり『愛のむきだし [DVD]』におけるマリア様であり、『車輪の下 (新潮文庫)』におけるエンマである。いくら難しいジレンマがあったとしても、一段上の出会いがある事によって優先順位がリセットされて再配分が行われる瞬間。結局のところで大抵の苦悩は優先順位が明確に決められない事から発生する。

僕は勝俣になりたい

 つまり僕は勝俣になりたいのだろう。 「そんな美味しいわけが…」でも、「アッコさんすげぇ!」のどちらで良いし、両方ならなお良い。勝俣として生まれ、勝俣として育ち、そして死んでいきたい。強いて「目標」を挙げるとすればそういう事なのだろう。

 自分自身を信頼できないからこそ、期待値を下げておいたり、みんなすげー!ってなっていきたいという思いがあったりなかったりする。だけど本質的には自分の価値を上げていかないと、それも難しいという事は分かっている。

 それでも「太陽」は過剰から転じた純粋贈与であり、僕の提供価値なんてものを無視してエネルギーを提供し続ける。僕はそんな太陽がまぶしかったのだ。

まとめ

 そんなわけで、今年に書いた創作鬱日記をピックアップしてみた。最近は良くも悪くも軽い内容が増えているので、時々はこういうのを書きたくもある。

 セルフブランディングを考えるのなら公開すべき内容ではないのかもしれないけれど、それ自体が自己療養の「試み」となっている事実がある。来年は何を書こうと思うのだろうか。それに先んじての不幸を期待するわけにもいかないけれど。

書くだけで人生が変わる嫌なことノート―仕事、自分、家庭、人間関係…

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