太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

「働かないオジサン」として給料をもらいたい

photo by Public Places

「できない」ようにする意志量

 ここのところで自分のことだけを向いた日記が増えていたように思う。最新7記事の全部がブクマ1桁なんて、すごく久しぶりな気がする。以前だったら当たり前だったことも、いつのまにか感覚がおかしくなってしまうのだろう。このぐらいで丁度良い。

 コミュニケーションや自己顕示のためにネットにいるのもよいけど、本当はもっと孤立していたい。「孤独」といえば自分でそれを敢えて選んでいる感じがするけど、「孤立」には受動的な印象を受ける。格好良さで言えば「孤独」なのかもしれないけれど、心の常駐プロセスが「敢えての選択」をし続ければ認知資源が消耗する。

ある行動を実現するためには、「権限」「能力」「動機」が必要になるわけだが、それは「できないようにする」にはいずれかを奪えばよいという事の裏返しである。しかし「動機」はきまぐれなのでロック機能としては弱いし、「能力」を短期間で安全に奪うのも現実問題としては難しい。だから「権限」を奪うのがもっとも効率がよい。そのまま能力が衰えて完全に出来ない事になれば、動機も逆算的に消滅するだろう。

 「しない」という意志を持ち続けるよりも、「できない」ようにしておけば無駄な可能性をいちいち考えなくても済む。ブログに表出するのは大した話ではないけれど、色々な側面からそういう話になってきている。

現実に逃避し続けるわけにもいかない

 「現実逃避」という言葉には、「現実から逃避する」という意味と、「現実に逃避する」という意味がある。現在の自分は後者にあって、山積みの「現実らしい現実」を延々とさばき続ける無限ループに落ちているように思える。

 逆に頑張れば頑張るほど給料があがる状況だったら体調不良などを隠して徹底的に働いてしまうかもしれません。昔の自分にはそういうところもありました。それこそ会社から徒歩2分の場所に引っ越して毎日深夜2時まで働いていたこともありますし、休日も会社に来ているか、資格勉強に使う事が多かったです。

 自分の手を動かし続けさえすれば結果がついてくるやり方が見えたときほど、流量調整や人に任せるということを自覚的にしていく必要があるのだろう。

作業者として働かないオジサン

 自分最適を狙わないのではなく、狙えないようにしていかないと結果として局所最適化と属人性ばかり生まれるし、スケールしていかない。そういう役割でもなければ、エンジニアとしてのレベルが特に高いわけでもないのに中途半端に動くものが作れたり、内部実装に文句を付けたくなってしまうのは弊害のが大きいと実感している。

 作業者レベルのワーカホリックになりがちなのでフリーランスは無理だし、かといって「不労所得」に飛躍するのも難しい。だから、まずは「働かないオジサン」を目指したいと思う。正確に言えば会社に何人かはいる「あんまり働いているように見えないオジサン」か。

 「あのオッサン全然動けないよね」と言われるぐらいになれば、自身の手を動かす割合を減らして本来の役割たる進捗管理、企画、社内調整、商談などを中心に回していくことができるのではないか。いつまでも中途半端なプレイングマネージャーではいられない。

働かないオジサンの給料はなぜ高いのか: 人事評価の真実 (新潮新書)

働かないオジサンの給料はなぜ高いのか: 人事評価の真実 (新潮新書)