太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

「自殺者リサイクル法」と加藤茶のように扱われたい願望

photo by kevin dooley

自殺者リサイクル法

 フジテレビの『世にも奇妙な物語』の中に『自殺者リサイクル法』という話がある。ビルから飛び降りた所を救出されて、どうせ捨てるつもりの命なのだからと、臓器を提供したり、新薬の実験台になったりと「命の再利用」をさせられる。

「今回死ねなかった皆さん、残念です。次は死ねる事を祈ってます」

 物語としては「自殺者リサイクル法」の対象となった集団が割合単位で簡単に死んでいく中で「生きたい」と思い直しても、危険な「仕事」からは解放されないという流れなのだけど、「死んでもいい」と割り切ったからこそ出来る有益な仕事に対する憧憬のようなものも感じた。

「一機死んだ」後の無敵時間

 僕自身も「自殺者リサイクル」を望んでいるのかもしれない。例えば、転職先を決めないまま退職したり、ドヤ街で暮らそうとしてきたのは精神的な自殺である。その程度の事でおこがましいとは思うのだけど、幾重にも張っていたたセーフティーネットを自ら取り外していく所業に「ニアデス・ハピネス」を感じていないかといえば嘘になる。

 『未来の働き方を考えよう 人生は二回、生きられる』の表紙に「人生は二回生きられる」と書かれているのですが、大抵の人にとっては「二回目を考えなければやってらんない」ってのが正直なところでしょう。ただし、「二回目」を想定してみると「切り替わる間」が生まれます。そして、それこそが黄金期なのかなーって思いました。僕の場合は「降りる」側に向かっているのですが、そうなってくるとオーバーキル感が出てきます。

 「自殺者リサイクル法」では、「自殺」の後も危険な仕事に強制従事させられるのだけど、僕の場合はむしろだらけてしまっているというか、この無敵時間を全然活用できてない感覚もある。もちろん「休養」も立派な活用方法のひとつだけど、根本的なところでワーカホリックなのだろう。

動機付け要因を捏造していくのは辛い

 それでも、漠然と「働きたい」という思いばかりが募って「何をしたいか?」の部分でつまずいている。動機付け要因は衛生要因を補うために作られるものなのだけど、これはあくまで「フロー」に絞った話。「ストックされた衛生要因」が満たされていると「フローの衛生要因」の主観的な効用が減って、やはり過剰な動機付け要因を捏造する必要性がでてくる。

 結局のところで自分自身の欲望は「手段」を磨く事に集中していて、「目的」はアウトソーシングしないと難しいのだろうと判断している。もちろん、ノレる目的とそうじゃない目的を比較する事はできるが、ゼロベースで自分自身の目的を描くのが下手すぎる。キャリア研修とか、真っ白だったもんなぁ。

加藤茶のように道具として扱われたい欲望

 自殺者リサイクル法ほど危険度の高い仕事は嫌だけど、ある種の強制的なタガを外部から持ってこざるをえないのかもしれない。近くに「わたし、気になります」と言ってくれる人がいないと探偵技能を役立てる機会も、磨く機会もなくなってしまう。結局の所で「道具」としての切れ味に自己満足をしたり、誰かに使いたいと渇望される事に個人的な欲望がある。

 そんなわけで、「もうそんなに長い時間は残っていないんだから、なるべく他人を幸せにしよう」とかんがえる事が大人だという、意見に一定の賛意があるだけど、むしろ自身のメランコリアを癒やすというエゴのためにこそ、それが必要になる。

 大人だということは
「もうそんなに長い時間は残っていないんだから
 なるべく他人を幸せにしよう」とかんがえることだ。

すべてはモテるためである (文庫ぎんが堂)

すべてはモテるためである (文庫ぎんが堂)

 そのような態度は共依存になりやすいとか、いいように利用されているだけってのも一般論としては分かのだけど、個別論としてはリサイクルしてもらえる方がありがたいと思うし、リサイクルしてもらえる程度の価値を保ちたい。それが道具としての優秀さであってさえも。そういう意味でも若い奥さんに搾取されたがる加藤茶やラサール石井の気持ちが分かってきた気がする。バブミープリーズ。

日本の男を喰い尽くすタガメ女の正体 (講談社+α新書)

日本の男を喰い尽くすタガメ女の正体 (講談社+α新書)