太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

そば清と俯瞰の錯誤

photo by Sanctu

そば清

 蕎麦の事を考えていてを思い出したのですが、古典落語には『そば清』という演目があります。『まんが日本昔話』で観て、トラウマ気味に覚えていました。


志ん朝 『そば清』 rakugo - YouTube

 あらすじとしては、以下の感じです。

-蕎麦の大食いが自慢な清兵衛(通称そば清)が60枚食べたら3両という賭けを提案される -60枚は無理だと思っていた清兵衛は信州で商売する帰りに、狩人を丸呑みして腹を膨らました大蛇が真っ赤な草を舐めたら腹が小さくなっていくのを見掛ける -真っ赤な草を消化薬だと思った清兵衛は、その草を持って蕎麦屋に行って70枚で賭ける -途中まで食べて苦しくなった清兵衛は休憩すると中座して真っ赤な草を舐める -いつまでも戻ってこない清兵衛を心配して障子を開けると…蕎麦が羽織を着て座っていた

 どういう意味だか分かりますでしょうか? つまり真っ赤な草は「消化薬」ではなくて「人間を溶かす薬」だったわけです。もちろん、「人間を溶かす薬」なんてものを想定するのは難しいのですが、AでこうだったからBでもこうだろうと思って失敗する事はありがちなことです。

時をかけるそば

 蕎麦を題材とした落語としては、『時をかけるそば』略して『時そば』のようなSF(すこしふしぎ。)タイムリープ落語も有名ですが、こちらも認知の錯誤が題材になっています。


sm13266710 じょしらく 時そば - YouTube

 それに限らず落語には、ある状況下において当事者性をもった人々が「そう思っちゃったんだから仕方がない」という錯誤を演じる様を、観客が外から眺めて笑えるような構造になっているものが多々あります。これを実現するために「錯誤するのも仕方がない」と思わせる程度にややこしい事でありながら、観客には錯誤だと分かってもらわないといけないのです。

 先の「蕎麦が羽織を〜」は本来「考えオチ」であって、本当は答えを言ったら格が下がるのですが、ビデオでは答えを言ってしまっていますね。だから何だという話ではないんですが、当事者性と俯瞰を駆使しつつ、「確かに一見それでいいように見えるから、そう思ちゃったのは仕方ないよね(・・・でもおかしいよね)」ってのをパフォーマティブに表現できると面白いのかもと思いました。

じょしらく(1) 特別版 (プレミアムKC )

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