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太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

小銭と功名心に書き手の側が最適化された文章への嘔吐感と不安感

自意識 自意識-こじらせおじさん

photo by @Doug88888

小銭と功名心に書き手の側が最適化された文章への嘔吐感

 どうにも僕の中で小銭と功名心にコントロールされた文章への許容限界を超えてしまったような気がする。以前から「カネ臭いブログ」が話題になっていたし、最初からそこを目指す人々について特に思うことはないのだけど、それとは異質な流れ弾に当たる頻度が増えすぎてキツくなってきた。花粉の吸い過ぎで花粉症を発症したようなものだ。

 自分自身にとって「何を書くのが楽しいか?」「どうすれば思考を深められるか?」「何を残していきたいのか?」といった初期衝動が抜け落ちて、大の大人が幾ばくかの金銭と小さなスポットライトのために「専門ブログにしましょう」「キャラクターを売りにしましょう」「ランキング形式で書きましょう」「タイトルにビッグワードの関連語をいれましょう」「ネット有名人に絡みましょう」「互いの読者を交換しましょう」といったノウハウに最適化されていく逆流現象。

 自身の気持ちを言語化するという大げさに言えば自身の人間性を取り戻すための活動に関わるほどに小銭と功名心に書き手側の人間性が最適化され、フィッティングされていく様に「寄生」を想起して嘔吐感と不安感を覚える。唐突にはじまるアフィリンクはまさに寄生体の登場シーンだ。それは自分も同じこと。

自分が少数派だと思えてくる観測範囲と不安感

ネット社会においては人間同士の倫理的な取り決めよりも、システムのフィードバックによって行動が影響されやすい。アーキテクチャ設計やアルゴリズムなどによって形作られるシステム環境そのものが事実上の権力者となることを「環境管理型権力」という。

 ブックマークしあうために交流しましょうみたいな本末転倒論がでてきたり、書きたいことよりもSEOやバズを優先するというのは、まさにシステム環境への「最適化」によって人間の行動が束縛されている例だろう。

 ライフハックをはじめとするノウハウ類は自身を意図的に環境管理下に投じることによって、意識的に考えないで済む範囲を増やしながら目的を達成すること。つまりは自身のゾンビ化を促進するためにこそあるのだから、他者の行動がシステムやノウハウによって規定されようが、何を目的にしていようが構わない。それでも感じる嘔吐感は、その部分を煮詰めていくのが万物共通のドクトリンであるかのように展開されることにある。

 それは自身が少数派に取り残されることへの不安感であり、日常とのギャップでもある。いわゆる「観測範囲」の問題であるならはてなブックマーク新着RSSの解除でこと足りるはずなのに、まだまだフィルタリングが足りていない気がする。ラウドマイノリティであっても外部への露出を目指す側を多く見かけるのは必定であろうし、もうとっくに魔女の役割は入れ替わっていたのだろう。その人の肉体を使いながら違う意志によって動かされるという構図はゾンビも寄生も同じなのだけど「寄生」のほうが生理的に苦手。現実には模倣的欲望によるものだと分かってはいるのだけど。

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