太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

明らかに悪くなっていくものを放置しないのが真の保守主義

photo by funkandjazz

保守主義として生きること

 10年を超えた会社員生活の中では、たまたま「革新派」に属する事が多かったのだけど、僕自身はすごく保守的な人間である。基本的に先人の作り上げた資産を有効利用していきたいという志向があるので、あまりに抜本的な変更をする事は動機としても権限としてもないし、真っ先に起業や独立を考えない時点で到達可能範囲が決まっている。

 既存資産を効率的に活用できていない現状についての改善活動を考えたいだけである。むしろ既存資産を時代の流れに応じて永らえさせたいという点において、よりラディカルな保守主義であると言っても過言ではあるまい。

「壁と卵」と「卵の中の壁」

 Ingressでは「レジスタンス」にいるし、村上春樹と同じく「壁と卵」であれば「卵」を選ぶのだけど、それは壁との信頼関係が前提になっている側面がある。「共犯」と言ってもよい。そもそも壁(=システム)は卵(=わたしたち)が築き上げたものである。特定小数の誰かの作り出す巨大な「壁」は冷戦と共に破壊しつくされ、完全な対立構造にはない。むしろ個々の「卵」の中に「壁」がいるのだ。リトル・ピープル。

 所属陣営は青(レジスタンス)を選択。所属会社はなかなか決まらないのに、所属陣営は即答できる。壁と卵があったら、どんな場合でも卵の側に付く。そういうものだろ?

 ここで問題となるのが、「今後とも保って守りたい範囲はどこか?」という認識の相違であろう。包括的なブラックボックスとして保守するのか、象徴や理念の問題のみを保守するのか、機能さえ残ればよいのか。そもそも枠など必要ないのか。「共同幻想」だってそれが人を動かすのであれば立派な「機能」である。

明らかに悪くなっていくものを放置しないのが真の保守主義

 ただひとつ言えるのは、明らかに悪くなっていくものを放置しないのが、真の保守主義としてあるべき姿なのだと思う。もちろんのこと「悪くなっていく」には視点の問題もあるのだけど、その合意がある事柄についてすら放置して、いつか来る致命傷を顕在化させる瞬間を待つのは「壁」への疎外であり、実質的な革命論者なのではないかとすら思う。それは保守ではない。

 壁が壊れたと自覚されたアノミー状態において点在化した特定小数によって建てられる壁は歪で脆弱で邪悪になる可能性が高い。僕は「壁」を永らく維持したいからこそ「卵」を全力で投げつけたい。「壁」を信頼しているからこそ「卵」を全力で投げつけたいのだ。7日間の角笛にだって耐えられるようにね。

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