太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

#婚活市場で珍獣枠として観察されるの私だ

photo by WenWei Sum

魂活してこう

 色々あった数年間が終わり、残ったのは自分の身ひとつ。生きる。死ぬ。繰り返す。二十歳のころみたいに「強くてニューゲーム」ができれば良いのだけど、ループを繰り返すたびに弱くなっていくゲーム的リアリズム。あとは老いて弱点が増えるばかり。感傷に浸る時間でさらに弱くなるし、そこに浸り続けるのも相手の負担になってしまう。

 恋愛論をこねくり回せるフェイズをとうに過ぎると「命をかける」という表現は比喩ではない。婚活とはすなわち魂活である。幽霊となって青ヒゲの兄弟の店で落ち合えるよう魂のレベルをあげていくしかない。

婚活市場で珍獣枠として観察される勇気と蛮勇

 なんてことを考えながら、最近にわかに盛り上がってきている女性視点の婚活ブログを読んだりしてたのだけど、そこに当事者性を持つと心が抉られる。他人事であれば笑えることも、「#婚活市場で珍獣枠として観察されるの私だ」に変わる悪寒。

最近よく見かけるのが、わざわざ恋愛工学徒とかナンパ師に会いにいって、食事をおごってもらいつつ、こんなダサい口説かれ方をしたとレポするパターン。文章としての下世話な需要があるのは分かるし、実際にキモかったのだろう。

 自身を晒しながら恋愛工学徒をネタにするのは、ある種の対等な関係にも見えるのだけど、そもそも婚活市場に出てくる人間の地力が弱いのは当然であり、どこかしらに欠落を抱えているものだろう。やめてあげてよぉと思いながら読みたくなってしまう自分もいる。

 その手の話に笑えているうちはよいのだけど、自身が厳しい目線を意識すると余計にガチガチになってしまうし、こちらの目線や行動も影響を受ける。恋愛を発展させるのは第三者の審級ではなくて、二人の問題なのだけど、最初から結婚を見据える時点で第三者的な動機によるものも大きいので、客観視されやすい構造にある。客観視された性欲と感傷は常に滑稽だ。

恋愛禁止条例を破っていく

 仕事場やサークルで口説けばあっというまに噂が広まり、ネットで口説けば出会い厨と晒され、婚活に行けば婚活ブログに晒される。恋愛禁猟区だらけになってしまったこの世界では、抜け道をかいくぐったり、ダメージコントロールの覚悟が必要となる。

 何も行動しなければ安全だし、そうすべきだとも思うのだけど、他者性を亡くした時間が長くなると狂っていく。いまさら被害者ぶっても仕方がないけど、珍獣枠としてネタにされうる自分を受け入れていくしかないんだろうなと。本当に何もなかったのにブロガーヲチスレに書かれたりしてたし、はてな女子と実態を伴ったスキャンダルになりたかった。