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太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

世界がいかにあるかは完全にどうでもよいことでしかない

photo by “Caveman Chuck” Coker

今週のお題「私の流行語大賞」

 色々なことへの現実感が失われてきているような気もすれば、そうでない気もする。やるべきことは沢山あるけど、本当に自分がやる必要があるのは曖昧なまま、ただタスクばかりが積み上がっていく。そこには入力があり、出力があり、誰かの入力のための出力が足りないとお金がもらえないという法則だけがある。この世界のすべてがいかにあるかは完全にどうでもよいことでしかない。

6.432 世界が“いか”にあるかは、より高い次元からすれば、完全にどうでもよいことでしかない。神は世界の“うち”には姿を現しはしない。
6.4321 事実はただ問題を導くだけであり、解決を導きはしない。

論理哲学論考 (岩波文庫)

論理哲学論考 (岩波文庫)

 世界がいかにあるかは完全にどうでもよいことでしかない。その感覚の由来について「より高い次元だから」と断ずるほどに傲慢ではない。むしろ、もっと低次元な刺激に振り回されている。事実を探しだし、類推し、描き出すことに苦心したって問題を導くだけであり、解決を導きはしない。ただエクリチュールの快楽のための快楽を導き出すだけの単語の羅列が生み出される。

世界がいかにあるかは完全にどうでもよいことでしかない

 世界がいかにあるかは完全にどうでもよいことでしかない。それなのに分かったつもりなるための屁理屈をでっちあげ、分かったつもりになるための実例を探し、分かったつもりなるための自己暗示をかける。そして「分かったつもり」であることを忘れなければ他人を分かったつもりにさせることさえできない。

 神は世界のうちには姿を現しはしない。デウス・エクス・マキナは期待できない。結局のところで「自分がいかにあったか」という主観的な感覚の羅列でしかないのだろう。分からないからどうでもよいのか、どうでもよいから分からないのか。おそらくは前者の自己欺瞞に丸め込まれていることを半ば醒めた覚醒状態で認識しながらも、世界がいかにあるかは完全にどうでもよいことでしかないという諦観に支配されている。

論理哲学論考 (岩波文庫)

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