太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

竹下通りでポールダンスを踊って「ぜんぶ妖怪ブロガーゴイルの仕業」と100%の責任転嫁をする事について

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「妖怪のせい」にして片付ける是非

確かに妖怪という概念によって、行為と属性を上手く分離したりとか抽象的思考のトレーニングとして上手く機能する場合の効果は大したものだと思うんです。でも、そうやって問題を「妖怪のせい」で片付けてはいけないことは多いし、悪い方に倒れると「妖怪が憑いているから仕方ない」で悪い事をする自分を肯定したり、いじめ的行為を肯定したりということにもなります。都合の良い解釈をするのはなにも大人の特権ではなく。
そもそも、妖怪やら怨霊の類は差別や虐殺などの辛い歴史を「仕方ない」と正当化するためにも使われてきたのだと思います。祟るというのは悪行の跳ね返りであることも有りますが、被差別者の復讐だったりもするでしょう。

 読みました―。最近は子供達の間で『妖怪ウォッチ』が大人気になっていて、作品内では自分や友人が良くない事をした理由が「妖怪に取り憑かれたから」になっています。すると現実世界において何か悪い事をしても「妖怪に取り憑かれたから」を理由に行動と意志を切り離したり、「治癒」「赦す」という事象を素直に受け入れやすくするという地盤が子供たちの中で出来ているのだけど、それは危険な側面もあると id:NOV1975 さんが指摘されています。

 これは所謂「別人問題」と言われる状態です。大人であっても過失事件等があった時に「あの時は妖怪が憑いていたから仕方ない」という話法が「病気」「酩酊」「恋」「雪」などに姿を変えて使われがちですが、それは「風邪を引いていた自分は、現在の自分とは別人だから仕方がない」という切断処理でもあって「現在の自分とは関係ないので、特に再発防止をする必要がない」という他人事なロジックになってしまいます。

「ぜんぶ雪のせいだ」という100%の転嫁

 この話法を使いがちな人は明白でない事案においての過失割合を他者に100%転嫁したり、自分だけが100%の被害者であるとアピールしやすい傾向にもあるようにも思います。いわゆる「謝ったら死ぬ病気」です。逆に自身に否があるのが明白な場合においては「全部あの時のわたしが悪い」となって自責に走りますが、それらは現在の自分自身と分離した何かに100%転嫁して考えてしまうという点で相似形にあります。

 しかし「AさんのXという原因が100%悪い」や「Bさんにだけ100%の被害がある」という状況は実際には殆んどないわけで、仮に過失割合が2:8ぐらいであっても「こちらにも悪い部分があった」「そちらも大変だよね」に配慮できない人は本質的な問題解決よりも形而上にある「現在の自分」の正当性や無誤謬性の幻想を重視するんだなって思ってしまいます。

 もちろん、その場を情動的に収めるための謝罪のフレーバーとして「100%」を挙げるのは有効です。ただし、再発防止にあたってまで「100%」というファンタジーに引きづられていれば、真に有効な原因究明や解決策にはなりえません。id:suminotiger さんの『「謝罪」と「反省」 〜昨日のつづき。 - スズコ、考える。』にもあったのですが、謝罪(感情的な納得)と反省(再発防止)はレイヤーを分けて考える必要性があります。もちろん「メンツの問題」が最重要であって、原因究明や再発防止なんてトリヴィアルになってしまうコンテキストも多々あるわけですが。

ポケモンバトル的コミュニケーション

 ところで、『「ブログは傍らに立つ(Stand by me)ものであり、困難に立ち向かう(stand up to)ものである」などと言っているのが楽しい - 太陽がまぶしかったから』において「ブログはスタンド」と書いたのですが、「どんなブログやってるのか?」が話の中心になると、自分が使役しているポケモンや妖怪の事を聞かれてるような気分になる事があります。

 『アラサーちゃん 無修正1』に「女ポケモン」という概念があったり、サブカル固有名詞コミュニケーションや彼氏自慢大会など、その人自身の事よりも「誰を連れているか?」「連れている人にどうしてもらえるか?」を重視する転倒が起こる事があって「100%の差し替え」が可能な事柄を中心に据える事にもやもやとする事があります。簡単には差し替えられない本体部分にこそ魅力があると思う人に対して、分離可能な「別人」を前提にしたポケモンバトル的なコミュニケーションをしている自分の残念さを俯瞰してしまうのです。

 その一方で、インターネット上の事であれば、ポケモンバトルにとどめるべきだとも考えています。個人情報や成果物外からの人格否定などのダイレクトアタックが前提になったら、論の正しさとは別の権力によって統治されて、建前しか話せなくなる場に変貌してしまいます。どこに境界線を引くかについての万人向けの正解はないのでしょうが、自分にとって心地よい空間を作りやすいのがインターネットの良いところです。

妖怪ブロガーゴイルに取り憑かれてる

 このようなポケモンバトル的なコミュニケーションをしていると、自分自身の意向よりも「ポケモンや妖怪のために頑張る」という動機も発生してくる事があります。つまり大抵のブロガーは「妖怪ブロガーゴイルに取り憑かれてる」のです。はい、ぼくのかんがえたオリジナル妖怪ですよ。技名は「影響力のふしぎな魔法」ってところ。

 実際、「ブログに書くために、普段はしないようなことをする」はよくある話です。新商品を買ったり、有名店やイベントに行ったり。本日であればiPhone 6のために並んでるブロガーも多々いることでしょう。僕自身も超インドアかつ受け身型の性格なのだけど、「ブログに書くため」という理由が後押しになって立候補してみる事が結構ありました。それが「竹下通りでポールダンス」に近いような事であってすら。

ふしぎなくすり 飲まされて (飲まされて)
渋谷で海を 見ちゃったの~!

(ゲッホ・・・、ゲッホ・・・)

ふしぎな魔法 かけられて (かけられて)
竹下通りでポールダンス♪

ふしぎなくすり feat.  SATOE [Long Ver.]

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 ブロガーゴイルに憑かれた時に使われる「影響力のふしぎな魔法」の対象は第一に「自分自身」です。とはいえ「ブログのみが100%の理由」になることもなくて、「分かりやすい言い訳」が欲しかっただけなのだと後から思う事のが多いです。逆に言えば炎上した時などに「ブログに載せるためだからやった」は100%の言い訳にはならないと考えています。

ぜんぶ妖怪のせいにして朝まで踊り続ける

 このバージョンのテーマソングは子供がターゲットなのに「朝まで、夜通し、手拍子」な歌詞でオマセなのだけど、「あの時は妖怪に憑かれていたから」といった言い訳作りも必要なのかなって思う事があります。学級委員に立候補したり、甘酸っぱい告白をしたり、喧嘩して謝ったりするのには相応の勇気が必要なのに、一貫性や失敗しない事を行動規範として内面化しすぎることで、それが出来なくなってしまうのも残念です。「あの時はちょっとどうかしてた」という別人として赦してあげることで生まれる不合理故のパトスや成長機会もあると思うのです。

 それは他者との関わりにおいても同じで、杓子定規に合理性やフェアネスを追求するのではなく「ぜんぶ雪のせいだ。」と言える雰囲気作りが必要な場面もあるのでしょう。そういう言い訳や逃げ道を用意されてこなかったからこそ、「謝ったら死ぬ病気」になってしまうのかなと思ったりもします。

動物的憐憫があれば頑張っちゃう

 最近、『回線切って高尾山とスイーツでマウンテン/^o^\するオフ会を開催します - 星がまたたいたから』をしたのですが、「ブログ書くために高尾山登るのはどうなの?」と思いつつも、楽しかったのは事実ですし、そういう言い訳がなかったら、いつまで経っても登らなかったでしょう。それに限らず、ブロガーゴイルに憑かれてる事で読書が捗ったり、プログラミングが出来るようになったり、誰かと会おうと思ってきた事は大切な経験になっています。

 何かをするには、権限と能力と動機が必要なのですが、これまでの個人的な傾向を考えるに「動機」が欠けるようなケースが多かったように思います。「本当にやりたくない」というよりも、自分自身の事であれば現状追認バイアスが勝ってしまうのです。なので、これまでも動機を他者にアウトソースすることで出来た事も多くて、それを『好奇心を他者にアウトソースして発展する「氷菓経済」は「評価経済」とは少し違うのではないか - 太陽がまぶしかったから』と呼んでました。

 お言葉の通り、「別人」によるサポートがあってこそ出来る事は多々あるし、それが出来てこその「自立」です。この時に「(好意を持った)別人の事だから何とかしたい」という動物的憐憫に駆動されていく事が、結局の所で見栄っ張りな自分には効いてきたという事実があります。この「氷菓経済」を発展させるためは「物理的な別人」を共依存的に必要としてしまう側面も正直なところあったのですが、「妖怪」という「論理的な別人」にアイロニカルに没入していく事で自身に留められる循環系の割合が増やせるとも思います。

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まとめ

 以上のように、「妖怪」に限らず、「別人」に100%転嫁する形の主張や感情操作は頻繁に行われており、あまり良くない事に利用されがちな側面がありました。しかし、だから「それをするな」ではなくて、特性を見極めて適切に利用していく事も必要なのだろうと考えています。

 物理的な現実として「100%の原因」なんてのは殆んどありえないわけだけど、人間は共同幻想に生きているわけで「他責的な部分に100%の原因」があり、それが「治癒」したのだから「赦す」という象徴界での記号操作が必要になる場面もあります。こと、人間同士の話であれば、徹底的に凹ませたり、現実らしい現実の荒野に放り出すことだけがゴールになるわけもないのです。

文庫版 姑獲鳥の夏 (講談社文庫)

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