太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

自罰的コミニュケーションは自分の気持ち至上主義の檻に囚われた「いいひと」戦略

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photo by Allen Ang

自罰としての徹夜や昼食抜き

 仕事上のトラブルがあると、頼まれてもいないのに徹夜や昼食抜きをしはじめるような人が一定の割合でいます。自分だけでやるなら勝手にやればよいのですが、部下や出入り業者にまでそれを求めはじめると困ります。基本的には無視したいのですが、無視ができない力関係になっていることも多いでしょう。率先して自罰されると、パワハラの構造としては厄介なものとなります。

 日本人は先の世代になるほど「負の平等」を求めてしまう心情が強いと言われており、「俺が大変なのに、お前は楽をしてる」という事に禍根を残しやすいそうです。なのでトラブルへの「誠意」として「みんな大変で頑張ってる」という空気を出すことが一定の範囲では有効な生存戦略だったのでしょう。

いびつな「いいひと」戦略

 しかし比較的若い世代かつ優秀な人々については、良くも悪くも迅速な問題解決のみをドライに優先している場合が多く、「そんな事をされても気持ち悪い」「効率を下げられたら困る」と愚痴られてしまう事になります。よって現代の生存戦略としては不適格な場合が多くなっているのではないかと考えています。

 自罰的コミニュケーションは『相互レビュー社会を生き抜く倫理経済学〜岡田斗司夫『「いいひと」戦略』 - 太陽がまぶしかったから』の亜種であるとも考えられます。「確率変動としてのコミニュケーション」について「私が行動Aをされたら、私だったら感想Bを思う」を優先する傾向が強いと歪な確率変動表が出来上がってしまい、「いいひと」戦略には失敗しがちです。「俺も辛いんだから、お前が辛いのは仕方ない」論法が通用するのは真のいいひとか頭がよろしくない人だけです。

 「100%の人に好かれる事はない」という宿命論については概ねYESですが、他個体の行動確率は変化しえます。これには「特定の人が意図した行動をしてくれる割合」「あるグループのうちの何割かが意図した行動をしてくれる」の2側面があります。

自分の気持ち至上主義と確率変動表の固定化

 過去には相応の効果があったのだと思われるため、完全な妄想的確率変動表ということではないのでしょうが、相手のリアクションを観察するよりも、自分の感性を優先するように価値観が固定化されてしまったという意味では、「自分の気持ち至上主義」の檻に囚われています。「自分の気持ち至上主義」には「自分の気持ちが至上なのだから相手の気持ちも尊重しよう」と「自分の気持ちが至上なのだから相手の気持ちは関係ない」の二種類があるのですが、前者を指向しながら実際には後者をしてしまっているという事です。

 「あるグループのうちの何割かが意図した行動をしてくれる」というのは、あくまで「あるグループ」が前提です。それは「過去の世代」というグループには有効だったのかもしれませんが、現在はあまり有効でなく、また「特定の人が意図した行動をしてくれる割合」には至っていないので、戦略として破綻しています。

カテゴライズと確率変動表の固定化

 これは人をカテゴライズして固定化した確率変動表を用いるマニュアル優先型の自省型ナンパクラスタもグラデーションの問題です。彼らの話を聞くと「XさんはカテゴリYだから」という判定を直感とか思い込みで下した後に「カテゴリYの人が行動Aをされたら、カテゴリYの人なら感想Bを思う」という経験則が単純に「Xさんが行動Aをされたら、Xさんなら感想Bを思う」にすり替わっているんだなーと思う事が多いです。そして、仮にXさんが行動Aを嫌がっていようが、それを読み取れずにカテゴリYの確率変動表を遂行しようとするので、偶然うまくいった行動の完璧性とのギャップに気持ち悪くなってきて続かないのでしょう。

 これは人間のキャラ化消費とも結びついています。現代のコミニュケーションにおいては、ある場面やグループに応じたキャラクタを演じている側面が強いのですが、それだけを見てカテゴリを固定化するからおかしくなります。キャラクタを演じるのは一種の感情労働であり、そこの一貫性を求められ続けると心的負荷が強くなってしまいます。

 もちろん、素のXさんが100%カテゴリYに属することもありますし、自分で考えた方が失敗確率が高いというのはあるのでしょう。また失敗しても「悪いのはマニュアルであって自分ではない」という逃げを打つこともできるので悪いことではないのですが、なんだかお節介な気分になることもあります。

誤った「いいひと」戦略は誰得となる。

 固定化した確率変動表ばかり用いていると結果として「イヤなひと」「無能なひと」という扱いになってしまいます。そして、徹夜や昼食抜きを続けていれば本当に健康を害してしまうため、「誰が得するんだよ・・・」になってしまいます。『会社を辞めたら色々と健康になってきたっぽい - 脱社畜ブログ』にすごく同意したのですが、自罰的なコミニュケーションをし続けるうちに健康を損なっていくと、出費も増えますし、歳を取るごとに簡単には治らない状態になっていきます。

会社員時代は、色々と破滅的な状態の中、少しでも健康になろうと高価なサプリメントを買ってみたり、マッサージに行ってみたり、身体によさそうな料理を出す店で外食をしたり、ストレス解消のためにほしいものをガーッと買ったりしていたのだけど、一向に健康になっているという感じがしなかった。実際には、不健康になっていくのをお金を使って精一杯食い止めようとしていたというのが近い。


(中略)


健康を金で買うのは容易ではないが、時間があれば健康を取り戻すのは比較的容易な気がする。もちろん、有り余る時間の中で自堕落な生活をしていたら健康にはなれないが、時間が全然なかったらそもそも健康になる取り組みに時間が使えない。十分な睡眠は健康の基本だし、運動をしたり、リラックスするのにも時間はいる。会社員時代の僕は、そういう基本的な時間をもつことができなかった。そんな状態で、いくら健康のためにお金を投入しても結果が出るはずがない。

 自罰的なコミニュケーションは、ある意味ではすごく楽だったのでしょうが、現代ではオワコン化しつつあります。運動部の伝統のように、自分が後輩の時にされた嫌なことを先輩になったら次の後輩にするみたいな負の連鎖はそろそろ終わりにしてやろうではありませんか。

 そして、「いいひと」戦略を取るのであれば、相手のリアクションから確率変動表をアップデートしていかないと破綻しているという事を意識する必要があります。「自分の気持ち至上主義」は本来のところ「自分の気持ちが至上なのだから相手の気持ちも尊重しよう」なのだから。

超情報化社会におけるサバイバル術 「いいひと」戦略 増補改訂版

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