太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

米田智彦『僕らの時代のライフデザイン』〜きっと何者にもなれない僕らのための生存戦略

僕らの時代のライフデザイン 自分でつくる自由でしなやかな働き方・暮らし方

31歳ITエンジニア。希望は、革命。

 31歳ITエンジニア。希望は、革命。片手では足りないほどの仲間が入院や退職をしていったデスマーチを経験したのが28歳。大震災が29歳。30歳を迎えるのにあたって様々な前提が崩れていく感覚を味わいました。陳腐な言い方をすれば「大きな物語の崩壊」が自分の中で起こったということです。自分ひとりではなんとかできなかった無力感と、自分ひとりだけならなんとかなった全能感の奇妙な同居があります。

 かつて赤木智弘は「「丸山眞男」をひっぱたきたい」を書きました。「固定化された格差を『国民全員が苦しみつづける平等』に是正するためには戦争に向かわざるを得なくなる。故に格差を固定化するな」という論旨です。それから6年経って自分が31歳となった現在。相変わらず格差は放置されてきましたが、当時はおそらく中流に属していたはずの自分の地位すら安定しているとはとても思えない状態になりました。

やっとサラリーマンも僕ら芸人並のレベルまで落ちてきたなと思います。これからいよいよ”国民総芸人時代”です。「いつ仕事がなくなって給料ゼロになってもおかしくない」っていう時代です。

お前なんかもう死んでいる プロ一発屋に学ぶ「生き残りの法則50」 (双葉文庫)

お前なんかもう死んでいる プロ一発屋に学ぶ「生き残りの法則50」 (双葉文庫)

 NECやIBMは大規模なリストラを行いましたし、飲食・サービス業などは正社員ながらアルバイトの方が高いぐらいの時給で社員を使いつぶしています。平均年収は下がり続け、税金や社会保障費やインフラ料金は値上げし、頼みの綱だった輸入品まで円安によって値上げしていっています。

オルタナティブなライフスタイルへの関心

 戦争すら起こらないまま、「苦しみつづける平等」を味わう事となった人数はかなり増えたのではないかと思います。社会運動に向かうのもひとつの方向性でしょうが、その成果は漸近的になってしまう諦観があるため、「革命」を狭い範囲で起こせないかという事に関心が移っていきました。

 そんなことを考えながらオルタナティブなライフスタイルであるノマドワーキング、ヒッピー、週末起業、シェア、野宿、複数拠点、ドヤ街、赤貧生活。世間的に見れば「社畜」に属しながらも幾つかの生活実験をしてきました。会社を10連休した直後に過労で倒れるという本末転倒をしたり、預金口座を全額定期預金に移して引き出せなくしたり。道楽と言われればその通りなのですが、このぐらいまでなら行けるという実験をしていて、その流れで阿佐ヶ谷ロフトであったイベントに参加しました。

 著者の米田さんは、この時に知ったのですが、司会振りが板についていて印象に残っていました。その米田さんがオルタナティブなライフスタイルについて本を書いたということで、手に取りました。

ライフスタイル・ポートフォリオ

 本書では二十八名の新しい生き方を試みている人々のインタビューを交えながら、その根底にあるセルフ・ワーク・リビングからなる「ライフデザイン」を描き出そうとしています。

  • 「セルフデザイン」……精神の安定と自己の可能性を広げる「多面性」のデザイン
  • 「ワークデザイン」……場と人によって仕事の「つながり」を生み出すデザイン
  • 「リビングデザイン」……心身の健康を良好に保ち続ける「多拠点」の住環境デザイン

僕らの時代のライフデザイン 自分でつくる自由でしなやかな働き方・暮らし方

僕らの時代のライフデザイン 自分でつくる自由でしなやかな働き方・暮らし方

 以上の説明からも分かる通り、「自・職・住」のそれぞれの軸において多面性を求めています。本書を通じて繰り返し述べられているのは、「不確実な時代を不安に生きる僕たちは途中変更、試行錯誤を前提として生活をデザインをする必要がある」ということです。

 途中変更や試行錯誤を柔軟に行えるようにするには複数のラインを同時並行で育て、必要に応じて乗り換えたり、「合せ技1本」が出来るようにしていく必要があります。本書にはあわい「あいだ」という言葉も頻出します。どこかに振り切れてしまうことを「最適」と思いがちですが、そうすると前提条件が少し変わっただけで、すぐに壊れてしまいます。なので配分を状況に応じて柔軟に変えられる事こそが重要なのだと思います。

 二十八人の生き方にはいくつかの共通点はあれど、それぞれ個性的です。正直なことをいえば継続性に疑問を持つような主張もあります。著者自身も後述する「ノマド・トーキョー」という生活実験者でありながら、適度な距離を保ちつつ、多面性へのヒントを描き出そうとしていきます。「途中変更、試行錯誤」と記述されるように時限性の変容を前提とした「過程」の議論ですが、「過程」の羅列こそがライフスタイルです。本稿では勝手に二十九人目になったつもりで、本を読みながら考えたことについて書いていきます。

ライフプランからライフデザインへ

 ライフ「デザイン」であって、ライフ「プラン」ではありません。これは重厚長大にプラニングして設計図を描き、その通りに進めていくという従来型の「逆算」の人生設計ではなく、いわゆる「デザイン思考」の発想に近い考え方です。


 デザイン思考とは、イノベーションを達成するための考え方や技法のことで、事前にきちんとした計画を立てて実行する手法ではなく、とりあえずつくってみてから改良していくような試行錯誤型のアプローチです。

僕らの時代のライフデザイン 自分でつくる自由でしなやかな働き方・暮らし方

僕らの時代のライフデザイン 自分でつくる自由でしなやかな働き方・暮らし方

 本書のタイトルにもなっている「ライフデザイン」と対になるのは「ライフプラン」です。「ライフプラン」とは仕事、結婚、子供、老後、住居、車、趣味などについて思い描き、それを実現するために必要となる「人・モノ・金・情報」のリソースを調達するための生活計画です。

 『エンタープライズとしての<私> とステークホルダとしての<私>〜ビジネスアナリシスの私的流用 - 太陽がまぶしかったから』にて「あるべき姿 < 現状 + ソリューション」という定式を挙げましたが、これは先に理想があって、ソリューションとして「何が足りないか?」を考え続ける生き方でもあります。しかし、この「理想」の形は不足を埋めていくうちに徐々に変わっていってしまう経験則があります。外部環境は時間が経つごとに変わりますし、何かを満たしたり、不足するごとに自身の欲求も変わっていきます。

逆算型の人生から、「とりあえずやってみる」へ

 「あるべき姿 < 現状 + ソリューション」においては、「現状分析」と「あるべき姿」を所与とする事で他律的に「ソリューション」の必要量を逆算するわけですが、これを「今後の姿 < 現状 + デザイン」とし、「現状」と「デザイン」を所与とする事で、「今後の姿」を導出し、「今後の姿」は「現状よりはマシ」でありさえすれば良いという考え方もできます。

 「今は何が足りないか?」ではなく「今は何ができるか?」への着目です。そして「今後の姿」が「現状」に移り変わった時には、より明瞭な「あるべき姿」が描けるかもしれませんし、それが描けなかったとしても「何ができるか?」の選択肢は増えていきます。

 アントニー・ホーアも言うとおり、「早まった最適化は諸悪の根源」です。この言葉自体はクヌゥース先生が言った言葉で、本人は否定しているそうですけれど。

 実際、自分が25歳ぐらいの時に思い描いていた姿は、能力・権限・動機のすべての側面から否決しています。それは「諦めた」部分もないわけではありませんが、そもそも今の状態で満たしてもあまり意味がないと外部環境の変化や経験を積んで理解できた部分の方が大きいです。当時の状態で満たしていたとしたらきっと有益だったのでしょうが、それを逃してしまったことになります。

 現在の自分が思い描ける重厚長大な「あるべき姿」に最適化して一直線に満たそうとすると、「あるべき姿」が達成できる頃には既に誤ったものになっていたり、コントロール不能な部分に阻まれたり、見積もりが甘かったりする可能性が高まります。

 柔軟に目的地をピボットしていける「しなやかさ」を手に入れるためには、前述のとおり「自、職、住」のそれぞれの軸で多面性を確保していく事が必要となります。これは本書でも触れられている「アジャイル」「リーンスタートアップ」として実感的に効果的と思える手法です。

「ノマド・トーキョー」という生活実験

 ノマド・トーキョーという生活実験プロジェクトは、自分の住んでいたマンションを引き払い、家財を捨て、トランク一つでソーシャルメディアの縁を辿って、都市を旅するように暮らし働いてみるというものです。


 東京には衣食住の全ての機能がそろっています。いわば、都市自体が巨大なコンビニエンスストアのようなもの。その都市の恵みを最大限に利用しながらシェアハウスやシェアオフィスを泊まり歩いたり、その空間を利用して働くことができるのではないか。

僕らの時代のライフデザイン 自分でつくる自由でしなやかな働き方・暮らし方

僕らの時代のライフデザイン 自分でつくる自由でしなやかな働き方・暮らし方

 本書のプロローグでは著者が行ったノマド・トーキョーという生活実験について語られています。この話を聞いて坂口恭平の「都市の幸」を思い起こしました。ホームレスは都市で狩猟採取を行う狩人です。生きるレイヤーを変え、ゴミの山を宝の山に変える環世界間のズレを発生させる事で、一般的な社会生活においては捨てられていた資材や食物や住居に所有権のゆらぎを発生させます。

「シェア」によって発生する報酬

 ホームレスはエクストリームな例ですが、「シェア」においても所有権のゆらぎを発生させる事で、比較的安価に使用価値を採取できる側面がありました。現代社会には無数の偏りが発生しており、個別に消費していては無駄となってしまう使用価値があまりに大きいために、売り手側もそこから別のリワードを引き出すように動くのは必定です。

 売り手側のリワードには二つの側面があります。ひとつは前述の通り「金銭」なのですが、もうひとつは「交流」です。例えば自宅の一室を安価に貸し出すようなサービスは、「話相手が欲しい」という動機によってなされる事が多いです。

 その一方で買い手側にとっても「話相手が欲しい」というのはプラスになりえます。例えばシェアハウスは様々なバックグラウンドを持った人々との交流をプラスと考えて入居を希望する人のが多いでしょう。東京に限れば、シェアハウスの方がワンルームよりも高家賃という逆転現象が起こっているとさえ言われています。

 従前までは「感情労働」と見なされていたような役割を、金銭的報酬を払ってまで得たいというパラダイムシフトが起こっているということです。この流れは文化系クラブやバールなどでホスト/ホステスが担っていた役割の大半を顧客内にアウトソースしたり、消費者参加型の商品企画業務にお金を払って参加したり、ニコニコ生放送では配信者側がお金を払うといったビジネスモデルなどにも現れています。

「直接的な対価」を回避すること

 かつてラカンは「精神分析を行なう際には被分析者に治療費を請求しなければならない」としましたが、それは治癒に向かわせるための体勢を整える側面がある一方で、被分析者から分析者に発生しえる必要以上の「好意」を切断するためのものでもありました。これはコンビニでもキャバクラでも同様の構造にあります。店員にとって、お客様が神様なのは相応の対価を支払う限りにおいてであり、内面的な感情は常に不定値です。

 この構造を意識的/無意識的に回避する方法として、総合的には割高になってさえ構わないから「直接的な対価」の割合を少なくする幻想が求められました。例えばパーティにおいては参加者同士の金銭授受が発生せず、「場」に対して支払われることによって、「ある人物と直接的な対価を支払っていないに話している」状態がコーディネートされます。

 同様に「シェア」「コミュニティ」などでは個人間の金銭的授受を敢えて最小化することによって、「交流」部分の効用を高め、そこで生まれた対価を「場」が搾取する構造になりやすいのですが、それを自覚的に織り込んで発生する錯誤について警戒する必要もあるとは思います。本書に流れるポジティブさは魅力でもあるですが、その辺りへの生々しい記述も欲しかったです。もちろん「場」を作ること自体もビジネスではあるのですが。

巡礼の旅をしながら働く

 ノマド・トーキョーでは「暮らす」ことだけに留まらず、「働く」という両面を挙げている事が重要です。ホームレスの例を挙げるまでもなく、清潔な身なり、健康、時間を守るといった予期的社会化活動をオミットしてしまえば、生活コストは極限まで下げられます。しかしながら、経費をいくら削減したところで、売り上げがないことには利益は発生せず、いつかは「最低限」の閾値すら超えてしまいます。

 著者は世界中に貧乏旅行をしながら、お金が尽きて帰国するたびに「仕事がこの国にあれば、ずっと旅が続けられる」という思いを抱いていきました。しかしフリーランスとしてどこでも仕事ができるようになった現在では「旅しながら働く」事を実現するための道具立てが揃っていた事に気付きます。定住所を持たず、働きながら、知り合いやソーシャルメディアで知り合った人の家に泊まる。まさにノマドライフです。

 旅をしながら働くと家と会社の往復では見ることのできなかった風景を見たり、都心の銭湯に入ったり、自然豊かな郊外を歩いたりします。これは視点を変えて同じ東京という街を歩くことで生まれる拡張現実レイヤーであり、非常に共感できます。著者は「東京版お遍路」と書いていますが、東京には実際に「多摩四国八十八箇所巡り」があり、武蔵野市から町田市などを通って日野市まで巡拝するコースがあります。

 人と繋がりながら泊めてもらったりする事は、仕事にも繋がっていきます。オフィスで成りすまし社員として働いたり、ノマド・トーキョーそのものがライティング業務などへの営業活動にもなっています。ひとつひとつは小さな仕事であっても、生活費を削減しつつ、多数のつながりを合算すれば食べていける感覚。これは伊藤さんの「ナリワイ」や id:pha さんの「クラウドファンディング」などにも共通するメソッドです。

放浪から複数拠点間の花粉を運ぶ存在へ

 ノマド・トーキョーは放浪の要素が減っていき、いくつかの拠点に落ち着くこととなりました。これは「狩猟」し続けることの困難さを表しています。人間には調子の良いときと悪いときがありますし、狩猟そのものへの高揚感はすぐに薄れてしまいます。そこで剰余を「貯蔵」するために定住していくようになります。

 しかし、ここで単一の拠点に落ち着くと元の木阿弥です。そこで「あいだ」をとって、居心地のよかった拠点を移動することで、互いに発生する個々の負担を減らしつつ、全体で必要量に達すようにポートフォリオを組みます。複数拠点を移動すると、拠点間の情報共用やコラボレーションが生まれることもあります。「ミツバチの受粉」と表現されていますが、とても良い表現だと思います。

自身の働き方と複数拠点化

 私自身は新卒の頃から比較的入れ替わりが激しい情報・通信業界にいたこともあって、よくもわるくも拠点や立場の流動性について実感を持ってきました。所属会社そのものは頻繁に変わっていないのにも関わらず、結果として様々な性格のプロジェクトに様々な役割で関わることになりました。

 そのたびに地方で長期出張をしながらテレワークで別の仕事をしたり、技術や業務知識を学習しなおしたり、人間関係がリセットされたり、求められる作法や成果がまったく異なる事もありました。火消しや技術支援などの立場で複数のプロジェクトを兼任することもありますし、ヘルプのはずが野戦昇進でリーダーになっていたなんてことも日常茶飯事です。

 自分が唯一誇れる能力として様々な技術的問題について、比較的スムーズに回避策を導出できるのですが、それは毎回ゼロベースで考えているわけではなく、誰かが似たような問題に困っていたからという場合が多いです。それは同時並行的に複数の現場に行ったり、短期間の仕事を繰り返したり、アンフォーマルな依頼や勉強会、同人誌、ネットを通じた活動等々の中でローカルルールやバッドノウハウを含めた多数の問題や失敗を呑み込んできた怪我の功名でもあります。

 また自分は心のコップに溜められた淀んだ水の排水速度が遅いという自覚があり、高頻度・長期間で同じ人々と顔を合わせ続けてもろくな事にならない場合が多いです。長く続いていることを考えると頻度が適切だとか、短期のプロジェクト単位で解散するとか、そもそも心地が良いとか、それ以上にプラスがあるといった理由があります。

 複数拠点間を行き来していると特別な処置をしなくても排水が適切に行われ、「戻ってくる」という選択肢が可能となります。これは相手と自分にとって自意識の負荷分散が行なわれるということでもあります。ひとつの拠点にコミットしては焼き畑農業を続けるという生き方は無理がありますし、複数拠点で配分を適切に調整していくというのは有効な生存戦略であると思います。現在も複数拠点で働いたり、所属したりがあって、ありがたい側面もあります。通勤や時間調整は大変ですが。

マルチアカウントと分人

 本書ではマルチアカウント化に触れられています。誰もが分人を作って、外部環境によって自然と立ち現れる自己を使い分けています。しかし分人は「拠点」「立場」があってこそ生まれるものです。最近は多忙化したこともあって「拠点」を減らしていったのですが、個々の分人が統合化されてしまった感覚があります。それはそれで良い面もあるのですが、負荷分散や障害予防という意味では弱くなったという実感があります。

 新しいアテンションを得るには「拠点」を変えてみることが一番です。「拠点」を変えることで見慣れた場所との差異が抽出され、双方への解像度を上げることができますが、これはそれぞれで生まれた分人がメタ視点を与えてくれるからだと思います。これも拡張現実レイヤーの生成と言ってよいでしょう。

 人生は一度きりですが、複数並行で動かすことはできます。『文庫版 邪魅の雫 (講談社文庫)』『笑わない数学者 MATHEMATICAL GOODBYE S&M』のように全てで一流になるというのは難しい話ですが、パレートの法則でいうところの最初の8割までを2割の労力で複数得ていく戦略もありえます。

 自分自身では「社畜」アカウントへのログイン時間が最長になっている現状があるのですが、その正反対のアカウントを作って生活実験をしています。家賃4万かつ3食自炊でなるべくDIYするようにしていますし、このような文章をBLOGや同人誌で書いたり、各種自動化ツールを作っています。現状では定収入があるため、1万円稼ぐより、1万円節約するほうが簡単な範囲にいる認識があります。今後はiPhoneアプリ制作などによって収入の積み上げもできればと考えています。

 仕事上の必要性で学んだ金融/保険や情報技術の知識を私的流用できるのはラッキーな事なのかもしれません。「自分の生活に役立たてられるのではないか?」という健全な下心は学習意欲を高めます。マルチアカウントと言いつつも、分人多元主義になっている所はあるのですが、そうやって物理的に蓄積された知識が私自身を形作っています。これも「あいだ」です。

きっと何者にもなれない僕らのための生存戦略

 本書内のインタビューを読むと「好き」が先にある人が多いのが羨ましいと思いました。自分には何か大袈裟なビジョンがあるわけではありませんし、小説家になりたい!!編集者になりたい!!ゲームデザイナーになりたい!!みたいな欲望が薄いです。今後とも文章やプログラムは書き続けるのでしょうが、基本的には自分の考えを整理したり、自動化するためのものにすぎません。

 そしてソーシャルメディア弱者であることも自覚しています。100RTも100ブクマも自分名義で経験したことがありませんし、アフィリエイトで云々なんて道も遠いでしょう。単純に「才能が無い」と言い切るのは語弊があるのかもしれませんが、「努力し続ける意志力」については大いに欠けています。

 何度か書いていますが、私自身は社会人になるのにあたって、いくつかのガイドラインを決めて、それを守るように行動してきました。

  • 回復可能な範囲を超えて心身の健康を害さないこと
  • 時間が経過するごとにスキルや知識が身に付く仕事や遊びを選ぶこと
  • 年間単位で赤字にならないこと(1年以上残る借金をしないこと)


 これは「健康・時間・金銭」として挙げるものに対応します。自分には積極的に「やりたいこと」がないからこそ、それを見つけた時に応じられる身体を「現状よりはマシ」な状態になるよう無意識的に考えていたのかもしれません。しかし、大きなビジョンなんて必要ないのかもしれません。きっと何者にもなれないからこそ、きめ細やかに今出来ることをやっていけばよいのでしょう。

僕らの時代のライフデザイン

 私達は大きな物語の幻想が壊れて、不安な時代を生きています。だからこそ様々な小さな物語に分散投資していく戦略が有効になりました。相変わらず積極的にやりたい事はないですし、今からサッカー選手になろうとしても無理です。それでも色々な事を少しづつやって、それぞれにフィードバックしていければと考えています。

 本書には「人生の時間軸を横に倒す」という表現があるのですが、「引退したら」なんて縦軸で考えていても何もできませんし、仮に「その時」がきても、変わってしまっています。文章もプログラミングも元手は殆どゼロですし、それに限らずとも始めるコストは極限まで下がってきています。まずは夜や週末用のアカウントを作って動かしてみることが重要なのでしょう。

 肩書きとしては残らなかったとしても、私自身への蓄積は確実に残りますし、少しぐらいなら誰かの役に立てるかもしれません。そうして出来上がった複数の拡張現実レイヤーの視点で「今・ここ」にある物理的な現実は変わらずとも、その状態を心地よくしたり、学習量を多くする認識上の革命を試行する事ができます。

 僕がライフデザイナーと呼んだ人々の暮らし方や働き方も、無数にある選択肢の一つです。情報に振り回されるのではなく、僕らは自分自身を「内観」し続け、与えられた環境の中でヒントを探し、自分で選んでいく。「あきらめずにしぶとく、しなやかに」です。

僕らの時代のライフデザイン 自分でつくる自由でしなやかな働き方・暮らし方

僕らの時代のライフデザイン 自分でつくる自由でしなやかな働き方・暮らし方

 それぞれから語られる小さな物語のひとつに依存するのではなく、柔軟に良いところを取り入れ、多面性を持った自分の物語をデザインすること。多面化するライフスタイルを多面化する繋がりや多面化する場の中で培い、互いに共創しあって僕らの時代を形作る。それが「僕らの時代のライフデザイン」なのでしょう。

僕らの時代のライフデザイン 自分でつくる自由でしなやかな働き方・暮らし方

僕らの時代のライフデザイン 自分でつくる自由でしなやかな働き方・暮らし方

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