太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

立花隆『「知」のソフトウェア』〜情報処理パラノイアのための7つの技法

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「知」のソフトウェア

 1984年刊行。個人用コンピュータがまだまだ一般的ではなかった時代に「ソフトウェア」の名を冠して、「知の巨人」とも言われる著者が得意とする膨大なインプットをアウトプットに変えていく技法について述べられていきます。

 使われる材料は現代と比較したら変化しているところも多いのですが、それでも情報過多な現在だからこそ使える技法も多いと思います。もっとも著者の態度としては「自分にだけ使えるもの」だという自負とエクスキューズもあります。

 恋愛の最適方法論というのは一般に成立しない。どういう男とどういう女が、どういう状況において出会うかによって、恋愛は千差万別の形態をとるからである。


 同様に、どういう人間が、どういう情報と、どういう状況で出会うかによって、最適な情報処理法も千差万別となる。とりわけ「どういう人間が」というところが重要である。

「知」のソフトウェア (講談社現代新書)

「知」のソフトウェア (講談社現代新書)

 実際、『暇人/(^o^)\速報: 【画像あり】立花隆(72)の書棚が凄いと話題に 地上3階・地下1階の仕事場のビルに約20万冊!』やアイキャッチの画像が話題になるとおり、「立花隆の真似をするのは不可能だろwww」と思わせるほどの物量作戦がひとつのブランドとして機能しているのではないかとも思います。良くも悪くもアナログ時代ならでは差異化ゲームですね。かつて「知の虚人」と批判されていた事もありました。

 それでいて大量の情報処理を行うのにあたっては、むしろ難読な文章の意味をいくら時間が掛かってもよいから意味を考え続け、それを読書会などでぶつけ合う事の方が大切だと述べられています。速読は速読で薦めてはいますが、「深さ」も必要だという話です。

アウトプット主体/インプット主体のバランスを取る

 インプットにはアウトプット主体とインプット主体があります。『大石哲之『コンサルタントの読書術』〜100円で身に付くアウトプット駆動型読書術 - 太陽がまぶしかったから』などにも書かれている通り、アウトプットありきで考えた方が基本的には効率が良いという主張は一般的なところです。

 しかしながら、アウトプット先行のバランスが強すぎると、最初に設定した主題を一歩もでる事ができません。最初に設定した主題から一歩でもはみ出る結論が出せなければ、そもそも書く意味が少なくなってしまうと本書は指摘します。それは書くこと自体に効用を求めるアマチュアブログでは大きな問題です。

 アウトプットにも二種類あり、まずは「執筆者」としての自分がアイディアや関連情報などの材料を書き出していき、次に「編集者」としての自分が、それらの材料を配置しなおし結論を導き出していきます。この時に「編集者」としての自分は当初から意図した結論ありきで材料を探すのではなく、「執筆者」が半分は無目的に揃えた材料を編集すべきだと考えています。この自身の役割を分ける事については『
「文章をはき出すとき」と「推敲・編集するとき」を分けてみよう - カフェパウゼをあなたと』に詳しいです。

長文になることがわかりきっている文章を書くときに、いつも見落としてしまうことがあります。それは、あまりに長い文章だと脳内メモリだけでは整序立った文章にすることは難しい、ということです。


ひらめいて、思いついて、話し始めるときのわくわくした人と、しっかりして、落ち着いて、直し始めるときの少し醒めている人を同時に動かすことは難しいのです。


これが、1000字、あるいはせいぜい5000字くらいの長さのブログ1エントリー分であれば、書いたり戻ったりしながらでもなんとか書けます。文章を紡ぎながら編集も一緒にやってしまうというスタイルですね。


しかし、5000字の原稿を10枚、20枚と組み合わせていかなければ書けないような長さになると、どうしても編集担当要員が必要になります。相互の文章の並び順とか、適切な脚註の配置などは、ひらめいているときのわくわく感を持ち続けているとミスしやすいんですよ。


新聞/雑誌スクラップの整理と活用

 最初の章に書かれるのが「新聞のスクラップブックの作り方」であり、その次が「雑誌の読み方」だというのが時代を感じさせます。今となってはネット経由でニュースを読む事が増え、新聞の電子版も有料ながら存在するため、あまり重要視されない作業となってしまいました。

 当時との大きな違いはやはり物理的な部分です。例えばロッキード事件の調査においては、A3版背幅2.5cmのスクラップブックを通巻350巻も作ったそうです。横に並べれば9mにも達します。この「大きさ」を言ってしまう感じが如何にもですね。こんな事ができていたのはスクラップ作成の専属要員が二人もいたからであり、個人の仕事できるわけもありません。

 主要新聞を全部読んでもらっては重要度を加味せずに関連情報を片っ端から抜き出してもらい、自身をフィルターにして、分類してスクラップしていきます。現代においては特定キーワード群でニュースの検索結果を配信するRSSを眺めてEvernoteに放り込む感覚に近いでしょうか。

資料整理を自己目的化しない

 ここで重要なのはオリジナル情報は時系列かつ重要度を加味せずマスターテープとして持っておく事と書かれていますが、そもそも「ニュース総覧や縮刷版があるのに、スクラップするのはなぜなのか?」というのは当時からも問いかけられていました。

 全段階を通して常に留意しておくべきことは、可能な限りスクラップの量を減らせということである。新聞スクラップにかぎらない。一切の資料の整理と保存にかける手は少なければ少ないほどよい。時間は可能なかぎり、インプットとアウトプットにさくべきである。

「知」のソフトウェア (講談社現代新書)

「知」のソフトウェア (講談社現代新書)

 やはり資料整理というのは、それだけで自己目的化しがちです。本書では完璧な資料整理をやってるだけで一日が終わってしまう青年の例が挙げられています。「『ブヴァールとペキュシェ (上) (岩波文庫)』を地でいくような」とあるのですが、さりげなくこういう文学作品を挙げられるのが差異化ゲームの強者たるところですね。

 私自分もライフハッカー達に影響されてEvernote使いこなし術みたいなものにハマっていたクチなのですが、『Evernoteがときめく片付けの魔法 - 太陽がまぶしかったから』の通り、かなりシンプルな方法に変えてしまいました。最近ではGoogleで検索できなかったら、Evernoteから探すという逆転すら起こっています。

 それでも本書では分類をどうするのかなどを熟慮しているのが微笑ましいしいです。現在の分類は複数のタグ付けによるフォークソノミーや「分類するな検索せよ」が前提となっていますが、物理的に実現するのはかなり難しかったのでしょう。ここで「少ないほうが良い」と言うのは普通に考えると多くなるという前提があるからなんでしょうね。

新しい分野を身につけるためのハングリー精神

 本を買う場合には一挙に5万円なら5万円を使えと薦められています。切実な額の身銭を切ってしまえば、元を取ろうとして本選や読書を必死にするだろうという事です。そして入門書は1冊ではなく複数冊買うことで、同じ概念を異なる角度から知ったり、ある入門書のみに出てくる概念を飛ばしたりといったことができると書かれています。

 その意味では現代はハングリー精神の欠如みたいなものは大きいです。もちろん入門書は入門書でありますが、「身銭を切った」というほどの感覚は久しく味わっていません。だから身銭を切れという話ではないのですが、相応の覚悟みたいなものは別の方法で用意しておく必要もあるのではないかとも考えています。

 政府情報の入手方法などについても色々と書かれているのですが、現在では『統計局ホームページ』などから入手できるため、個人でも比較的簡単に統計を元にした話が出来るようになりました。この手の統計の簡単な使い方については『自分のアタマで考えよう』に詳しいです。書籍の整理についても電子書籍によって大きく変わっていくものと思われます。

インプットとアウトプットの間(あわい)

 あるインプットに対して情報処理が行われた結果としてアウトプットが行われるわけで、本来的には「インプットとアウトプットの間(あわい)」にある『「知」のソフトウェア』こそが重要な部分です。しかしながら、これを意識化することは難しいとのことです。できることといえば環境を整えるぐらいであり、それも個々人によってやり方が違います。KJ法なんかが喧伝されているが著者にとっては全く役に立たないと述べられています。

 私自身としては『「擬似本番ブログ」で一晩寝かせて熟成させる7つのメリット - 太陽がまぶしかったから』の通りに「熟成期間」を取っておくと、そこから別の目的で読んだ本や情報やアイディアがヒットして想定とは異なった結論を出せる事があったり、誤字脱字を発見したりしやすくなります。

 「ワープロを使うならプリントアウトしてチェックしろ」とありますが、これは擬似的にでも完成形を作って読めというのに近いのかもしれません。自身のアウトプットをインプットにする作業でもあり、そこの逆流によって『「知」のソフトウェア』が稼働する感覚があります。

手に入れたインプットは年表とチャートを作って関連付ける

 事実に即した物を書くときは時系列を正確に把握することが不可欠です。例えばネットバトルや話題の広がり方について、何かしらを言う時には実際に起こった事件やエントリのタイムスタンプを正確に把握しておかないと、おかしな論拠になりがちです。

 リンク図についても重要だと書かれています。これは時系列に限らないステークホルダー同士の関係性や金の流れなどです。概念図を書くことによって、裏付けが不足している資料などが明らかになる場合があります。ネットバトルにおいては、やはりエアリプライの有効判定にはてブコメントやこれまでの人間関係などを把握しておく必要があります。

 『“はてな村”から、村長・年寄の社会機能に思いを馳せてみる - シロクマの屑籠』にもありましたが、村長の村長たる所以はこの年表とリンク図をネット上には明確には現れていない部分を含めて・・・もちろんネットバトル研究のためだけに役立つわけではありません。『感想をブログで書いてもらえると喜びます - はてなブログ グループ』の記事についても流れを追って全体を読まないと論旨がつかみにくいと考えています。ドゥルーズは『ニーチェと哲学 (河出文庫)』において、個々の文章について「誰のどの言説に対して書いているのか」を把握しないと真の論旨が掴めないというような事を書いているのですが、これはネット時代によって顕著となりました。

 ただ id:kinakonako さんが「心のトラックバック」と表現されているものは、もっと書き手同士のためだけにあるという主張も分かります。なので年表やチャートを作っても公開するかは別問題であり、それをしたい人が各々でやるという事も必要なのでしょう。

懐疑の精神と充足理由律が満たされていること

 充足理由律とは、ある事を言うのであれば、その理由を充分に示せということです。世の中には擬似相関や、偏見によって形作られた「真実」が喧伝されています。特に現代においては『情報革命バブルの崩壊 (文春新書)』で指摘される「ソースロンダリング」と言われる手法が一般化していますので、その理由を追っていくと稚拙なものが多かったりもします。

 「私はこう思う」であれば仕方がないのですが、客観的事実であると断じるのであれば、それに足る理由が必要になります。そのためにはウラ取りがまともに行われていない情報を見切ることや、自身の結論に近い情報に安易に飛びつかないリテラシーが必要となります。特にまずいのは「一次情報を持っているように見せかけて」書いてしまうことだと本書では指摘されています。朝日新聞の「アベする」捏造問題なんてのがありましたが、自身の思い込みを「流行ってる」と言ったり、当事者の声として捏造してしまうのは非常にまずいのです。

 日本のジャーナリズムは、「バーバル・ジャーナリズム」が多く、色々な人のコメントを任意に抽出して並び替えることで、どんな結論にも持っていけてしまう問題があります。テレビのコメントなんて最たるものですね。その類型として「針小棒大・ジャーナリズム」もあると本書では指摘します。ちょっとある国に住んだけで、その国全体を論じてしまうようなものですね。職業モノなんてのはそうなりがちです。

 これらのロジックは個人ブログでも頼ってしまいがちです。Twitterや2chのレスを好き勝手に抽出して並び変えれば、ほとんど自由に結論が出せてしまいますし、過度な一般化によって成り立つ主張は多いものです。なので安易な事実断定はしないようにして、しっかりとウラ取りを行うか、あくまで個人の考えであることを明示するのが誠実であろうと考えています。

物理情報処理パラノイア

 本書から導き出した情報処理のパラノイアのための7つ技法は以下の通りとなります。本書には他にもインタビューの技法などについても触れられています。

  1. 人によって最適な情報処理法は異なる
  2. アウトプット主体/インプット主体のバランスを取る
  3. 情報の整理と活用は大切であるが、整理だけが自己目的化してはいけない
  4. 新しい分野を身につけるためにはハングリー精神が必要と複数の入門書が必要
  5. インプットとアウトプットの間(あわい)は無意識的なものだからこそ環境管理に気を使う
  6. 手に入れたインプットは年表とチャートを作って関連付ける
  7. 懐疑の精神を発揮し、主張をするのであれば充足理由律が満たされていることを意識する


 現代においては時代の徒花と思うような表現もありますし、「過渡期」の思考錯誤だと思う部分もあります。しかし現代においても結局のところで「過渡期」であり、「ぼくのかんがえたさいきょうのじょうほうしょり」なんてものは存在しないです。

 インプット過多はインプット過多で問題ですが、「整理過多」「方法論過多」「アウトプット過多」という状態もあるように思えます。「7つの技法」とか聞くたび読んでフムフムとやってる場合ではないですし、結論ありきの薄い話ばかりをアウトプットしていても意味が薄いです。『「知」のソフトウェア』を効率よく稼働させるためにはやはりバランスが重要となってくるのでしょう。

 最後にもう一度述べておくが、本書の内容を一言で要約すれば、「自分で自分の方法論を早く発見しなさい」ということである。本書を含めて、人の方法論に惑わされてはならない。

「知」のソフトウェア (講談社現代新書)

「知」のソフトウェア (講談社現代新書)